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卵巣と子宮を摘出…やなせななさん手術決意に医師の信念

7/10(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

「のんきにほっつき歩いている場合やない! あんた、がんやねん」

 家族からそう告げられたのは、今から12年前、30歳の冬でした。その日は夜の7時ごろまで普通に買い物を楽しんでいたのですが、母から電話があって「こんな時間まで何やってるん?」と怒られました。慌てて帰宅したら、そう言われたのです。母と姉はずっと私に言えなかったようで、その夜、初めて私の前で涙を見せました。

 その1年前ぐらいから、たくさん食べているのに痩せてきて「おかしいな」とは思っていたんです。でも、デビューして人前に出る身でもあり、「ダイエット要らずでちょうどいいわ」ぐらいにしか考えていませんでした。

■不正出血が1カ月間も止まらない

 春になって不正出血が始まっても、「ちょっとしたホルモンバランスの乱れかな」と思って特に気にしませんでした。一応、受診した町の病院でも「異常はない」と帰されたので、そのまま放置していたんです。でも、そのときに検査したのは「子宮頚がん」だけでした。それが、一般的なんだと思います。

 そのうち、不正出血の量がだんだん増えてきて、ついには1カ月間も止まらない状態になり、量も多くて洋服を着るのが嫌になるくらいケアが大変になってきました。家族からも「頬がこけてる」と指摘されて、やっと大きな病院の産婦人科を受診しました。それが同じ年の年末です。

 そのときの検査は、膣からチューブを入れて子宮の奥の組織をこそげ取るというものでした。麻酔はなく、検査後に広がった子宮が収縮するタイミングで鬼のような痛みに襲われました。検査が終わったとき看護師さんから「休んでいきますか?」と言われたのですが、そんなことになるとは知らなかったので、「大丈夫です」と軽く答えて診察室を出たんです。すると、間もなく強烈な痛みが走り、病院のトイレに倒れ込んで緊急ボタンを押すはめに……。とにかく恥ずかしかったです(笑い)。

 後日、検査結果を家族と一緒に聞きにいくと、「もうちょっと調べないとわからないので、1日検査入院しましょう」と言われました。私は「そうなんだ」と深く考えもしませんでしたが、後になって聞いた話では、家族はすでに病院から「子宮体がんの疑いがある」と連絡を受けていたのです。

 その数日後に入院して、全身麻酔の検査をしました。「大掛かりなことをするんだな」と思ったと同時に、若干心細くなったのを覚えています。それでもまだ、がんだとは夢にも思っていませんでした。

■「女性として抵抗」も納得して受けた摘出手術

 家族による「子宮体がん」の告知は、その検査入院の結果を聞きにいく前日でした。病院から「診察室で取り乱さないように家族から告げておいてください」と数日前に言われていたそうです。

 家族から告げられた翌日に病院に行くと、担当医から説明があり、子宮と卵巣の全摘出手術の話になりました。とても初期だったことで転移もなく、結果的にリンパ節は取らずに済んだのですが、やはり女性としては子宮と卵巣をすべて取ってしまうことに抵抗はありました。「女性でなくなるんかな?」「結婚できなくなるんかな?」といった俗っぽい不安もありましたし、子供も欲しかった。

 でも、主治医から「子供は諦めなさい。あなたが生きていくことが一番大事なんですから」と諭されました。その先生は昔、20代の患者さんの懇願を聞き入れて卵巣を片方残したことで、がんが再発して死なせてしまったそうなんです。「何と言われても私は切る。そこは譲れない」という先生の強い信念が胸に響き、納得して手術を受けました。

 手術の前夜、高層階の病室から街の明かりを見ながら、「子宮と卵巣がなくなるってどうなんだろう……」とずっとずっと考えて、「こんな種類の悲しみはこれまで考えたことないな」としみじみ落ち込みました。どうしようもなく泣けてきたので「いかんいかん、早く寝ないと」と思って看護師さんが準備してくれていた睡眠導入剤を飲んでやっと眠りに就きました。

 子宮と卵巣を取ってしまったことを話せるようになったのは、手術から2年後ぐらいです。それまでは、友達にも言えませんでした。女性ホルモンが欠乏していることを悟られないように、コラーゲンや高級化粧品を買いまくった時期もありました(笑い)。でも、講演会で病気の話をするようになると、「私もそうです」という人たちがいっぱいいて、「みんなしんどいねんな」と気づきました。そして、彼女たちに優しくされて「こんなに明るくなれるんだ」と癒やされたのです。

 病気になって「人は死ぬんだ」と思いました。だから退屈だと思ったり、ケンカなんかしていたらもったいない。もちろん感情の波はありますけど、今は自分の根底にそんな“軸”がある気がします。

▽1975年、奈良県生まれ。2004年「帰ろう。」で歌手デビュー。昨年、5枚目のアルバム「夜が明けるよ」を発表。好評のトークと歌のライブで全国を飛び回っている。FMラジオのDJ、ヤマハの会員情報誌「音遊人」でのエッセー連載など幅広く活動中で、クラウドファンディングで製作中の映画「祭りのあと」では初脚本を担当。今年末には完成予定だという。