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【のびやかに・浜木綿子】(26)「CMは引退まで」岩谷産業創業者の言葉

7/11(火) 15:02配信

スポーツ報知

 私は、昭和51年(1976年)から岩谷産業のCMに出演させていただいています。もう42年目になります。創業者の岩谷直治元会長が、宝塚など舞台をよくご覧になっていたご縁で「ぜひに」と声を掛けていただいたのが始まりです。

 東京オリンピック(65年)の聖火にも使われたマルヰプロパンガスの普及やホースを使わないガスコンロを生み出したことでも有名な方。常に未来の資源を見据えておられ「何事も努力」と仕事一筋で生涯を貫かれました。

 この連載の初回で少し触れていますが、器用でない私は昔から“断り魔”で、基本的にすぐお断りするクセがあります。CM出演というと、華やかな印象を持たれるかもしれません。でも、会社のイメージを託されるというのは、とてつもなく大きな仕事です。

 しかも、同社は商品ごとに出演者を代えたりしない主義。それだけに重責を受け止め、CM撮影の際は、女優で演じる役とはまた違った緊張感をもって臨んできました。

 05年に102歳で元会長は旅立たれ、私もこれでひと区切り、と申しましたら「契約は浜さんが引退するまで」と言い残されていたと聞き、胸がいっぱいになりました。ご出身が、世界遺産の石見銀山遺跡がある島根県大田市。お世話になった御礼に、縁のある場所を訪ねたこともあります。出会いの大切さを教わりました。

 内容は少し変わって“身内”の話ですが、今年4月、40年間以上、私の運転手を務めた男性が75歳で亡くなりました。

 出会いは、私の父がまだ元気だったころにさかのぼります。父は、通いやすいように彼の住む家を決め、こちらで保険や年金の支払いをやるので心配はいらないことなどを、細かく説明していました。

 一緒に働くということは、家族の一員のようなものです。責任をもって人と接することを父から学びました。

 運転手として40年間、一度の遅刻もなく、弱音を聞いたことがありません。真面目ですが、頑固でした。高齢の不安はあったようで、もうあまり長くは運転できないだろう、と漏らしていたことを後で聞きました。

 長年使ったうぐいす色の愛車で、地球を何周する距離を移動したでしょう。この車に乗ってから嫌な思いをしたことのない幸運の車。ダッシュボード下の引き出しを開けると、そこには私や息子の(香川)照之の出ている作品のチラシがいっぱい入っていました。

 口に出さずとも私の知らないところで配ってくれていたのです。いろんなことが思い出されてつらくなるので、車は引き取ってもらうことにしました。その日。運転席の前に花を置いてお別れしました。

 長生きをするということは、それだけ耐え難い、いろんな別れにも遭遇するということです。落ち込みながらも、活力を取り戻し、前を向く。それだけの精神力を持ち続けていたいと思うのです。

(構成 編集委員・内野 小百美)

 ◆岩谷 直治(いわたに・なおじ)1903年、島根県生まれ、2005年死去(享年102)。30年に創業し酸素販売などを手掛けた後、45年岩谷産業を設立し、社長就任。53年家庭用プロパンガス(マルヰプロパン)を販売し、普及させる。78年には、いち早く本格液化水素製造プラントを完成。86年から全H型宇宙開発ロケットに液化水素を供給することにもつなげた。

最終更新:7/11(火) 15:02
スポーツ報知