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日活ロマンポルノの傑作で、あの大物俳優が放った一世一代のアドリブとは?:石井隆監督インタビュー

7/10(月) 12:01配信

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劇画界の寵児から気鋭の映画作家へ転身

70年代後半、石井隆の手によって劇画の世界に生み出された「土屋名美」というキャラクターは、映画史においても今なお、日活ロマンポルノの“伝説的ヒロイン”としてファンの心に強く刻印されている。その世紀のファム・ファタル(=運命の女)を主人公とした『天使のはらわた』シリーズが、7月4日についに初ブルーレイ化された。それに伴って先日行われた、石井隆自ら映画化した監督デビュー作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988年)のオーディオコメンタリー、〈音声特典〉の収録現場を見学! 収録後には石井監督に貴重なお話を伺う機会を得た。

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オーディオコメンタリーには監督ならびに、これが初主演作となった竹中直人、プロデューサーの成田尚哉が参加、3人のトークは78年にスタートした日活ロマンポルノ『天使のはらわた』シリーズの成り立ちから始まった。要約すれば当時、劇画界の旗手であった石井隆のもとに、(大の石井ファンにして日活の企画部だった)成田が映画化を打診。石井が原作を提供して『女高生 天使のはらわた』(1978年/監督:曽根中生)が作られ、これがヒットを記録。続いて『天使のはらわた 赤い教室』(1979年/監督:曽根中生)、『天使のはらわた 名美』(1979年/監:田中登)、『天使のはらわた 赤い淫画』(1981年/監:池田敏春)の3作では脚本を手掛け、ロマンポルノ末期に発表された本作『天使のはらわた 赤い眩暈』では脚本と監督を担当、シリーズを通して石井隆は、劇画界の寵児から気鋭の映画作家へと転身を果たしたのだった。

「監督のお話をいただいたときは、ビックリしました。僕は子どもの頃から映画監督志望で、大学在学中には映画研究会の先輩の紹介で日活の撮影現場に潜り込んだほどなんです(=69年公開『涙でいいの』の監督助手のアルバイト)。でも生来身体が弱く、残念ながら挫折し、以降はその代替行為として劇画を描いていた。71年に幕を開け、大量のプログラムピクチャー(各映画会社の系列劇場のプログラムを埋めるために制作された作品群)を生み出していった日活ロマンポルノは88年に終焉することになるのですが、成田さんは最後の2年間、“原作提供と脚本でシリーズに貢献した”と会社を説得し続け、ギリギリのタイミングで僕を監督にしてくれたんです」(石井監督)

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最終更新:7/10(月) 12:01
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