ここから本文です

差別に屈しない 金さん遺品を整理 長島愛生園と交流の盈進中・高生

7/10(月) 22:49配信

山陽新聞デジタル

 瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・長島愛生園と20年余り交流を続ける福山市の盈進中学高校ヒューマンライツ部の生徒らが、同園の入所者で昨年11月に90歳で亡くなった金泰九(キム・テグ)さんの遺品を学校で保管し、将来、入所者の暮らしの場として再現しようと計画している。過酷な人権侵害だけでなく、差別に屈しない生きざまも学んできた部員らは「生きた証しをそのまま残し、金さんが伝えたかったことを語り継ぎたい」としている。

 金さんは大阪で暮らしていた1952年に強制隔離されて妻と生き別れるなど厳しい体験をしながら、ハンセン病への偏見・差別の解消に向けた啓発活動に生涯をささげた。ヒューマンライツ部は96年から愛生園を訪れ、耳が聞こえないハンディに悩んでいた女生徒が金さんとの出会いで立ち直るなど歴代の部員が深く関わってきた。

 生徒らは今月上旬、週末を使って金さんの養女・大黒(だいこく)澄枝さん(65)=兵庫県伊丹市=と一緒に愛生園の居室で遺品を整理。段ボール20箱分ある書籍や講演を録音したテープ、写真のほか、机や棚などの家具類も含め、10人乗りワゴン車に2回積み込んで学校に持ち帰った。「多くの人から遺品を残せないかという声をいただいており、若い人が受け継いでくれるのがうれしい」と大黒さん。

 ハンセン病の後遺症で手が不自由なため、ひもを引っ張るだけで着用できるよう改良したネクタイ、利き手ではない左手で書いたとみられる筆跡の手紙など、金さんの暮らしぶりが分かる遺品も多い。分厚い年賀状の束や手紙の多さからは交友関係の広さが、自らが原告となった国家賠償訴訟を細かく記録したノートや日記からはきちょうめんさがうかがえる。

 遺品の整理には金さんに会ったことがない中学1年の部員3人も同行。高校2年の部長(16)は「私たちの先輩の手紙が大切に取ってあり、長い交流の積み重ねの上に今の活動があるのだと実感した。これから一番長く関わる後輩にそれを感じてほしい」と期待する。同じ学年の副部長(16)は「金さんはつらい過去を感じさせない笑顔で迎えてくれた。常に前向きだった生き方も伝えたい」と話す。

 同部は何らかの形で遺品を公開したい考え。顧問の延和聰教頭(52)は「私たちが愛生園で金さんから学んだように、さまざまなことを五感で感じられるような場にしたい」としている。