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「振り付けできなくて、歯を全部抜いたの」 ギリヤーク尼ヶ崎の半世紀 「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へ

7/15(土) 7:00配信

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 病身を顧みず一心不乱に舞い、踊りのためには歯を抜くことさえいとわない。伝説の大道芸人ギリヤーク尼ケ崎さんの「鬼の踊り」を「祈りの踊り」へと変えた転機とは。来年、街頭公演50周年を迎えるギリヤークさんが、亡き母、妹、そして震災やテロ犠牲者への思いを語りました。(朝日新聞記者・神庭亮介)

【写真】踊りのためには歯さえ抜く! 全身大道芸人、ギリヤーク尼ケ崎の人生

妹の供養のために…歯を全部抜いて完成させた踊り

 ――代表作の「念仏じょんがら」はどのようにして生まれたのでしょうか。

 「念仏じょんがら」は、25歳で亡くなった妹のためにつくった演目。妹はひとつの時に脳膜炎(髄膜炎)にかかって、命は助かったけど脳に障害が残りました。おばあさんになついていて、亡くなった時は、意味もわからず「ババちゃんのところに行きたい」とよく言っていた。

 その妹が亡くなる間際に、母が「ババちゃんのところに行くか?」と聞いたの。そうしたら「嫌だ」って2回首を振って。寿命が尽きる寸前に、死ぬことの意味がわかったんだろうね。

 いつか妹を供養する舞をつくりたいと思いながら、完成までに10年以上かかりました。1978年にニューヨーク公演に行く前、なかなか振り付けができなくて、歯を全部抜いたの。

 ――踊りのために歯を全部抜いてしまうとは、尋常ではないです。

 お菓子屋の息子で、もともと虫歯も多かったし。歯医者さんに「いっぺんに抜いたら気絶して倒れる」と言われたから、2週間掛かって抜いたよ。鏡に映ったおばあさんのような顔を見て、すぐに踊りが浮かびました。

 ニューヨークでは老婆の姿で踊って、終わったら入れ歯を入れて「ジ・エンド」とあいさつしてね。そうしたら、これが受けたの。妹のためにつくった「念仏じょんがら」が、ニューヨークで完成した。総入れ歯にしてよかったよ。

母が亡くなって「空の青さが悲しみの色に感じた」

 ――ニューヨークへの渡航費用はお母様が用立てたそうですね。

 郵便局の保険を解約して旅費をつくってくれたの。あの時、母さんがお金を出してくれなかったら、「念仏じょんがら」は幻になっていたかもしれない。当時は東京の世田谷で母さんと一緒に暮らしてました。

 昔、病院で清掃の仕事をしていた頃に、ボーナスが入ったから母に反物を買ってあげたの。渋谷の東急デパートで8千円ぐらいだったかな。その時に、ハチ公前の方を指さして、「母さん、僕ここで踊ったんだよ」って言ったら、ガックリしてた。はあ~とため息をついてね。

 街頭じゃなくて舞台やホールで踊っていると思っていたんじゃない? まさか投げ銭をもらっているなんて、考えもしなかったんでしょう。何も言えなくなっちゃった。いまでも、その時のことが引っ掛かってます。僕の大道芸の原点ですね。

 ――とはいえ、お母様も内心ではギリヤークさんのことを応援していたのでは。

 『鬼の踊り』(ブロンズ社)という自伝を出した時、母さんに「本ができたよ」と報告したの。そうしたら、よりによってヌードで踊っているページを開いちゃって(笑)。印税も入ったし喜んでもらいたかったんだけど、そんな話ふっとんじゃった。

 投げ銭を数えてるところを見つかって、慌てて隠したこともありますよ。ハチ公前の思い出もあって、正直に「大道芸をやってるんだよ」とは恥ずかしくて言えなかった。「お母さんを街頭に連れてきてあげたら」と言ってくれる人もいたけど、生きている間に踊りを見せたことは一度もなかった。かたくなでしたねえ。

 母さんは82歳で亡くなりました。くも膜下出血の延命治療の末に、意識不明の状態になって。僕はどうしても外せない公演で北海道にいて、死に目に会うことができなかった。北海道の空は東京よりも澄んでいて、いつも帰って来る度に空を見上げて「頑張るぞ」とやる気を出すの。でもこの時ばかりは、抜けるような空の青さが悲しみの色に感じたね。

 ――「念仏じょんがら」の最後に「母さん!」と叫ぶ場面があります。どんな思いで踊っているのでしょうか。

 あの最後の「母さん!」のために、全部の演目を踊っているんじゃないかという気がする。「念仏じょんがら」は妹の供養のためにつくった舞だけど、母さんのための作品でもあるから。

 母さんが亡くなってからは「大道芸っていいものなんだよ。僕、命がけで頑張ってきたんだよ」という思いで踊ってる。天国の母さんに「勝見ちゃん、頑張ってるね」「ちゃんと踊ってるね」って一言でいいから言ってほしくてね。

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最終更新:7/18(火) 15:58
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