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言葉も知らずに来た日本、高校野球で自分を変えられた

7/12(水) 8:57配信

朝日新聞デジタル

 高校野球群馬大会は11日、上毛新聞敷島球場など3球場で計8試合があった。連合チームの尾瀬・下仁田・万場・長野原は、シード校の東農大二に七回コールドで負けたが、随所で粘りを見せた。桐生市商は、藤岡工と両チームで計26安打の乱打戦を制した。

【写真】桐生南―市立前橋 五回表桐生南無死、飯塚が右翼席への本塁打を放つ。捕手横地=上毛新聞敷島


■厳しさ耐え、自分を変えた 松井田・坂井ジャスパー選手

 4点リードされた三回裏、松井田は先頭打者の吉田夢希哉(2年)が三塁打で出塁。1死三塁で坂井ジャスパー(3年)に打席がまわってきた。「1点でもとって流れを戻したい」。犠飛で走者をかえすつもりだった。5球目、内角真ん中の直球を振り抜いた。「詰まった」と感じた打球は中前で中堅手に捕球され、走者は三塁にとどまった。

 小学2年の時に、母や兄弟と一緒にフィリピンから日本に来た。日本語は話せず、小学4年までは兄と一緒に別の教室で日本語だけを勉強した。同級生から誘われて野球を始めたのは小学5年の時。かつて社会人野球でプレーした父の達男さん(53)の勧めもあった。「言葉も知らずに日本に来た。なにか友人と会話ができるようなきっかけを作れればと思った」と達男さんは話す。少年野球チームの練習にいき、父子でバッティングセンターに行くこともあった。

 中学生になると、勉強について行くのが難しくなった。早退や休みも多くなり、週の半分以上を休んでしまうこともあった。なかなか先発メンバーとして出場できない野球も楽しめなくなっていた。

 「高校では変わりたい」と松井田の野球部に入部した。厳しいトレーニングも多かったが「中学校時代には戻りたくない」と耐えてきた。昨秋に新チームになってからは、朝練も学校もほぼ皆勤。春の大会初戦で速球を打てず、コールド負けした反省から、走り込みを重ね、バドミントンのシャトルをバットで打つ練習を採り入れた。

 この日、失点を重ねる場面が多くなっても、坂井は三塁から、内野や外野に向かって人さし指を頭上にかざし、「最後まで頑張ろう」と仲間に呼びかけた。試合後、練習してきた打撃で結果が出なかったことに悔しさをにじませたが、「3年間続けて良かった」と話した。(篠原あゆみ)

朝日新聞社