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香港が1国2制度の中でも「自由経済都市」であり続ける理由

7/12(水) 21:25配信

投信1

香港があくまでも「経済都市」である歴史的背景

2017年7月1日、香港が英国から中華人民共和国に委譲されてから20周年を迎えました。香港のみならず、世界中のメディアが、様々な見方を交えて、この節目となる日を報道しています。英国統治時代を懐かしむ声を交えた報道もあれば、中国化への懸念を伝えるものや、香港の将来への悲観を強調するものもありました。一方で、1997年以前に懸念されたことと比較して、過去20年の経済成長の目覚しさを称える報道もありました。

香港という街は、ご存知の通りアヘン戦争を終結させるために、英国と当時の清朝との間で締結された南京条約により、現在の香港島が英国に割譲された1842年以来、1997年まで155年間、「植民地統治」されてきました。1842年以前の香港島は、人口5千人程度の漁民が住む漁村に過ぎませんでしたが、現在は人口720万人、GDP 30兆円を超える世界に冠たる経済都市となっています。

この「香港」の基礎は、ほとんど英国統治下で作られたと言っても過言ではないでしょう。150年以上に亘り、香港は英国の植民地として統治されてきて、香港の政務のトップである香港提督は英国政府に任命され、英国から落下傘のように香港に降り立ち、香港の政務を取り仕切ってきました。それゆえに香港には、歴史的に政治参加意識や政治活動の芽が育って来なかったのではないでしょうか。

ちなみに、20世紀にアジアで独立していった国々では、シンガポールのリー・クアンユー、マレーシアのマハティールなどの傑出した政治家が世に出てきましたが、香港では、長江集団を率いる李嘉誠をはじめとした事業家・経済人の名前は出てきても、政治家で記憶に残るような名前は思いつきません。つまり、香港を「政治都市」として見ると間違えるのであって、あくまでも「経済都市」なのではないかと思います。

香港における中国の「存在感」の実際は?

経済都市として見ても、香港経済は既に中国に飲み込まれているという書き方をする報道は多く見られます。確かに、貿易依存度では、香港の輸出に占める対米輸出シェアは、近年は10%前後まで低下している一方、中国のシェアは50%を超えるまでに上昇しています。

しかし、香港は中継地点としての機能が大きく、メインランドから輸入され、香港を経由して米国も含む他地域に再輸出されているもの、また香港からメインランドに輸出された後、米国を含む他の国・地域に再輸出されているものが相当量あることには注意が必要です。

HKMA(香港金融管理局、2012年)の推計では、こうした要因を考慮すると、香港の対外輸出増加に占める米国の割合は25%とメインランドの22%を上回っているというのが実態で、2000年以降、緩やかに低下してはいますが、表面の数字だけでは実態を見誤ると言えるでしょう。

サービスセクターでは、旅行サービスで見ると、メインランドが28%(2000年)から66%(2012年)へと上昇する一方、米国は11%(2000年)から4%(2012年)に低下していますが、旅行サービスの香港経済に占めるウェイトは極めて低いのです。

旅行を除くサービス輸出では、メインランドのシェアは一段と低くなります。特に金融サービスに限ると、米国33%に対し、メインランドは4%未満に過ぎません(2012年)。もちろん、オフショア人民元市場の拡大や香港証券取引所と上海・深セン両証券取引所との相互開放の開始など、金融面でも中国関連のウエイトは年々増していますが、一気に大きな変化が出ているというわけでもありません。

同時に、香港はアジアで最大の「金融の都市」として、アジアとの関係も深めており、アジア関連の金融取引の取り扱い量も増加しています。「世界第3位の金融市場」にまで成長している世界のトップの一角として、バランスを取りながら成長していくことになるでしょう。

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最終更新:7/12(水) 21:25
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