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【のびやかに・浜木綿子】(28)市川中車と香川照之 2つの名前

7/13(木) 15:02配信

スポーツ報知

 息子の(香川)照之が9代目、市川中車として歌舞伎の世界に入って、5年になります。2011年に発表される数年前から元夫で照之の父、歌舞伎俳優・市川猿翁さんのことを「おやじの病気(脳梗塞)を治したい」「もう一度、舞台に立たせたい」と言い始め“もしかしたら”という気配はありました。

【写真】11歳頃の香川照之と旅先で笑顔を見せる浜木綿子

 でも、私たち親子を置いて出て行き、音信不通だった人です。本心では「一体、この子は何を言ってるのかしら」とも思いました。しかも、中学か高校のころ「僕が父をはっきり理解できる前に別れてくれて良かった」と感謝していた時期もあったのにです。本人はそんなこと、完全に忘れているでしょうが。

 04年に息子の市川團子が生まれたことが、照之の人生を変えたのでしょう。“父親不在”で育った彼は、息子というものを前に、たじろぐときもあったはずです。團子は祖母の私の目から見ても、大人をハッとさせることのある子でした。

 あるとき。私が車を運転し、團子は助手席。ゲームの小さな部品が、座席の間に落ちたのです。私が探して取ろうとすると「取らなくていい」と制します。そして「そのまま置いておけば、これが僕と車に乗っていた、いい思い出になるよね」と。子供らしからぬことを言ったりするのです。

 照之は、幼いこの不思議な感性に触れ、自分の中にある澤瀉(おもだか)屋のDNAとともに、命を受け継ぐ意味を考え続け、苦しんだに違いありません。「風雲児と呼ばれた父の血が、僕の中にも流れているんです」「140年続く市川猿之助の名前。政明(團子の本名)という長男がいて、この舟に乗らないわけにはいかないんです」。会見で彼が発したこの2つの言葉に、考えが集約されていると思います。

 照之は、一度こうと決めたら揺らがない子でした。なので、私たちはそれを信じて、見守る。それしかできません。ただ私はこのとき「香川照之」という名前は残してほしい、と申しました。

 いくら血が流れているとはいえ、無謀すぎる決断です。「歌舞伎の修業は気の遠くなる時間を要す。後ろから矢が飛ぶこともあるだろう。いばらの道を選んだ」。ある新聞に書かれました。その通りです。しかも、舞台以外の仕事も並行させてやっていく。香川姓を残してほしい気持ちもありましたが、自力でここまで大きくした芸名を大事にしてもらいたかったのです。

 いまも2つの名前を使っていることを、疑問視している人がいるのも知っています。でも、松竹さんも理解してくださり「その方がいい」と、いまに至っています。でもこの先、私がいなくって、名前に対する照之の気持ちが変わるかもしれません。そのときは、それで構わないと私は思っています。(構成 編集委員・内野 小百美)

最終更新:7/13(木) 19:00
スポーツ報知