ここから本文です

桂あやめさん 西川死刑囚に襲われた衝撃体験を振り返る

7/13(木) 17:33配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 1991年、スナックのママ4人が連続で殺害された警察庁指定119号事件で、強盗殺人罪で死刑判決が出ていた西川正勝死刑囚(61)の刑が13日に執行された。この西川死刑囚に首を絞められて殺されかけたのが落語家の桂あやめさん。桂さんはこの日、報道陣に「安心はするが、亡くなった4人のことを考えると複雑です」とコメント。九死に一生を得た衝撃体験を振り返る。

  ◇  ◇  ◇

 桂花枝(桂あやめさんの当時の芸名)は1992年の正月元旦は師匠の小文枝宅で過ごし、4日の新年会の席では、入門時から欲しかった師匠の前名、桂あやめを襲名する許しを得た。入門10年目にして念願がかなったわけだ。その翌日、あの事件が起こる。

「二日酔いで寝ていると、『隣に越してきた者です』って男の人が訪ねてきたんです。まだ電話がついていないんで貸してくれと頼まれて、電話機のコードをドアの近くまで引っ張ってきて電話をさせた。『留守みたいです』と受話器を置いた次の瞬間、いきなり近づいて首を絞められた。このまま死んだらあやめの名前はどないなるんやろうと思いながら気を失って、お花畑が渦みたいに回ってるのが頭に浮かんで、気が付いたら部屋の天井が見えて、あ、夢やったんか、と起き上がったら犯人がそばにいた」

「金、あるか」と聞かれたので「引き出しに入ってます」と引き出しから現金が入った封筒を差し出した。男は金を手にしてほっとした様子で話し始めた。

 自分は人を殺したと。

「捕まるくらいなら死のうと思ってる」と言うのを、「死んだらあかん。生きていたらええことありますから」と止めた。自暴自棄になってまた首を絞められたらたまらないので必死だ。男が「あんた、ええ人やなあ」と言ったのでほっとした。

■男は「スナックママ連続殺人事件」の犯人だった

 九死に一生を得た花枝はようやく犯人に解放された。花枝を襲った犯人は、「警察に電話するなら10分たってからにしてくれ」と言って部屋を出ていった。

「アパートの階段を下りる音がしたので、すぐドアの鍵をかけたとたん、全身の力が抜けて動けませんでした。放心状態で体の震えが止まらず、警察に電話したのはしばらくたってからです。警察官が駆け付け、電話機の指紋を調べたら正体が分かった」

 なんと、警察庁指定119号事件、通称「スナックママ連続殺人事件」で指名手配中の犯人だったのだ。

「女性を4人も殺した殺人犯だと分かったとたん、また震えが起こりましたね」

 事件は翌日の新聞の1面に大きく掲載され、殺された4人の女性の写真の横に花枝の写真があったのを見て、改めて生きていることに感謝した。師匠の文枝が吉本興業所属なので花枝も所属している。吉本のお膳立てで記者会見が開かれた。首の周りに痣が残っていて痛々しかったが、そこは落語家だ。「これまで吉本の芸人の記者会見といえば、たいてい加害者だったのが、被害者としての会見は初めてだとマネジャーに言われました」とギャグをかまして、報道陣を笑わせた。

 記者に「よく助かりましたね」と言われたので、「首を左右に動かす落語の稽古で筋肉が鍛えられたおかげで助かった」と答えた。実は冗談でなく、診察した医者に「もうちょっと首が細かったら危なかった」と言われた事実がある。

 花枝は高座でも事件の体験談をまくらでしゃべって大いに笑わせた。

「大阪人は嫌なこと、困ったこと、悩みごとがあったら、自分からネタにして笑い飛ばす。それが一番の解決法なんです。私も笑いにすることで『自分は元気なんだ』とアピールしたかった。同情は嫌、被害に遭った可哀想な人でいたくない。演歌歌手なら泣き落としでいいでしょう。『首を絞められました。殺されそうになりました。でも生きてます。聞いてください。桂花枝さんの新曲です』なんてね。でも落語家はそうもいかない。お客を笑わすのが職業なんですから」

 それが芸人としての矜持なのである。

(聞き手・吉川潮、日刊ゲンダイ連載中「桂あやめ大いに語る」から抜粋)

▽かつら・あやめ 1964年、神戸市生まれ。高校を中退して82年に5代目桂文枝に入門、桂花枝(かつら・はなし)を名乗る。94年、3代目桂あやめを襲名。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。