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<劉暁波氏死去>貫いた「私に敵はいない」 中国にとどまる

7/13(木) 23:49配信

毎日新聞

 ◇評伝

 中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者、劉暁波氏(61)は1989年の天安門事件後に投獄や強制労働などの迫害を受けても国内にとどまった。「私に憎しみはなく、敵はいない」。その信念を貫いた。

 2007年5月4日、劉氏は北京西部の茶館で、インターネットが中国の民主化運動に与えた影響を記者に語った。劉氏は穏やかな教師のような雰囲気で、学生に講義するように落ち着いた低音の声で取材に答えた。

 90年代、劉氏は自転車をこいで広大な北京を東奔西走し、民主化を求める仲間と語り合った。盗聴の恐れがある電話は使えなかった。手書きの原稿は国内で発表できず、大使館などのファクスを借りて国外に送った。

 それがネットの普及で一変した。「あっという間に私の文章が世界中に掲載され、署名活動は数千人集まるようになった」

 ネットを武器にした運動は08年12月、劉氏を中心に起草した「08憲章」に結実した。だが、当局も危機感を強め、劉氏は国家政権転覆扇動罪に問われ、10年2月に懲役11年の実刑が確定した。

 なぜ劉氏は国内に残る道を選んだのか。「未来の自由な中国は民間にあり」。著作の題名ともなった言葉にヒントがあると思う。目覚めた一人一人の声が積み重なってこそ変革が成し遂げられる--。中国の人々が自由を求める力を信じていたのだ。

 そんな劉氏が晩年、妻の劉霞さんとの出国を望むようになったという。支援者が公開した霞さんの直筆メモによると、17年3月、刑務所に面会に来た霞さんが夫婦で出国したいと告げると、劉氏はうなずいた。霞さんが長年の自宅軟禁生活で患った抑うつ症が深刻になっていたからだ。「劉暁波が同意するとは思わなかった」。メモには、長年支え合った妻の驚きが記されていた。

 10年12月のノーベル平和賞授賞式、劉氏の椅子は空席のまま、劉氏が公判のために書いた陳述書が朗読された。「最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛によって憎しみを溶かしたい」

 その大きな愛で、人生の最期は妻のために生きようと決意したのだろう。【北京・河津啓介】

最終更新:7/14(金) 12:17
毎日新聞