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《白球の詩》主将とマネジャー 3年生2人で支え合う 玉村・板垣泰河主将

7/13(木) 6:02配信

上毛新聞

 何度も何度も後輩投手が投げてくる低めの変化球を体で止め続けた。春以降、任された捕手は小学校低学年でかじった程度。でも、支えてくれた人と練習を重ね、最後の夏に自分の役割を全うした。

◎役割果たせた夏 感謝

 小中学校が同じで一つ先輩の広川堪太前主将に憧れ入部した。しかし、3人いた同級生は退部し、1年の秋には自分だけになった。

 部員が減っていく中で同級生のマネジャー、田端雪乃さんだけが残ってくれた。もう1人いた同級生のマネジャーがやめ、田端さんも悩んでいた。「頑張れ」と送ったLINE(ライン)に田端さんは踏みとどまった。

 昨夏が終わり、秋からチームを背負う側になった。でも、後輩が来られない時は1人での練習になる。「不安もあったけれど頑張れた」。正直に明かすのは、1人の時でも田端さんが練習に付き合ってくれたからだ。

 秋、春の県大会は連合チームで臨んだ。他校のマネジャーが記録員としてベンチ入りし、田端さんはスタンドから見つめた。人数がようやくそろい、最後の夏は3季ぶりの単独出場が決まった。喜びもつかの間、現実を突きつけられた。捕手をできる部員がいない。やれるのは「自分しかいなかった」。唯一の3年生である自分の責務だった。

 捕手出身の木部誠監督に付きっきりで止め方を教わり、家でも父の定幸さん(44)のボールを受けた。逃げたくなって田端さんに「キャッチャー大変だ」と送った。「頑張れ」の返信が不安を拭ってくれた。

 草むしりやボール拾い、マシンへ球を込めたりと、大人数のチームなら部員が行うことを田端さんも献身的に担った。大会直前もショートバウンドを1時間にわたって投げてもらい止め続けた。

 試合中、低めの球を全部止められたかといえば、何度か後ろへそらした。でもそれも数度だけ。後逸を重ねていた最初の姿はもうなかった。

 二回裏に左翼へ3ランを浴びた直後も仲間をマウンドに集め、笑顔で後輩左腕の肩をポンとたたいた。「少人数の主将って緊張していないように見せないといけない。大変なんです」。三塁側スタンドの広川前主将はたたえた。四回無死一、二塁の打席は進塁打で、直後の2得点につなげた。「逆転してほしい」とベンチで見守る田端さんの思いに少しだけ応えた。

 公式戦で勝利することはとうとうなかった。左膝に腫瘍が見つかり、練習中に打球を受け鼻の骨を折るなど、病気やけがに苦しんだ高校生活でもあった。でも後悔はない。「最後は単独チームでできたから。本当に楽しかったです。田端にも助けてもらいました」

 試合後、田端さんが「ベンチに連れてきてくれてありがとう」と感謝すると照れ笑いで応えた。使い続けたバッグに下げた、田端さんお手製のボールとユニホームをかたどったキーホルダーが揺れていた。(和泉皓也)

最終更新:7/13(木) 6:02
上毛新聞

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