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劉暁波氏「私に敵はいない」貫く 求道者いつも市井に

7/14(金) 7:55配信

産経新聞

 劉暁波氏(61)の最後の身柄拘束はニューヨークで活動する中国民主活動家と接触中に知らされた。2008年12月の寒い夜だった。

 数日前に文案がまとまったばかりの「08憲章」が理由だと聞き、活動家の一人は「大半は中国憲法にも書いてある話じゃないか」と吐き捨てるように語った。

 集会、結社、言論の「自由」。中国共産党政権下では憲法の定めた「権利」が空証文だからこそ、中国の知識人300人余りが劉氏らの起草した「08憲章」に賛同した。

 劉氏を拘束した治安当局も、憲法が空証文であることは百も承知のはずだ。だが、「王様は裸だ」と真実を語ることは、中国の政治体制では許されない。1989年の天安門事件に始まる劉氏の拘束、また拘束の繰り返しは、いつも「当たり前」の権利を訴えたためであった。

 80年代の劉氏は、大学教員の傍ら、文芸評論の筆を振るっていた。数日後に弾圧される天安門広場の群衆に飛び込む前は、米コロンビア大学に招かれニューヨーク滞在中だった。

 「帰国せずあのまま米国に亡命していれば」。帰国後の劉氏を見舞った試練をみれば、こんな所感も浮かぶ。拘束が解かれたタイミングで、海外に逃れる選択肢もあったはずだ。

 だが、劉氏は安全な国外に逃れる道を絶ち、民主、人権が一番必要とされた中国の市井に身を置き続けた。その非暴力に徹するありようは、民主活動家というより求道者に近かったように思われる。

 その真価が示されたのは、獄中で受賞したノーベル平和賞の授賞式だった。代読された「私の最後の陳述」というメッセージは、「私に敵はいない。憎しみもない」として、弾圧者をゆるし、自由や民主が中国で実現することを祈るものだった。

 常に敵を作り、憎悪をあおることで政権を維持してきたのが、毛沢東以来の治世ではなかったか。劉氏の名は強権支配が続く限り中国の為政者を悩ませることになるだろう。(編集委員 山本秀也)

最終更新:7/14(金) 8:42
産経新聞