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あれから20年―。甲子園準V左腕・川口知哉が選んだ道

7/15(土) 10:03配信

スポーツ報知

 20年前の夏。甲子園の中心にこの男はいた。1997年、夏の甲子園で平安(現・龍谷大平安)で準優勝を飾った時のエース左腕・川口知哉投手。高校卒業後はオリックスにドラフト1位で入団。1軍登板は3試合0勝1敗。2004年にユニホームを脱いだ。

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 先日、川口さんから1通のメールが届いた。7月17日に、神宮球場で開催される日本女子プロ野球リーグの埼玉アストライア・京都フローラ戦でのイベントの知らせだった。神宮の夜空に帽子を同時に投げる「キャップトスチャレンジ」のギネス記録、1万人に挑戦するものだ。川口さんは今、女子プロ野球リーグの強豪・兵庫ディオーネでコーチとして野球を指導している。一時は野球から離れたが、また野球の魅力にとりつかれていた。昨年秋、取材で話を聞く機会があった。私は彼の言葉と歩んだ道のりを知って、女子野球を応援したいという気持ちになった。編集者としての立場から、女子プロ野球の情報を発信している。

 現役引退後、川口さんは父の仕事を手伝っていた。一軒家のテラスなどアルミ関係のものを造る仕事を5年やった。

 「野球は『もう、ええな』と思いましたね。正直、しんどかったですし、うまくいかなかった。少し(野球から)離れた方がいいかなと思ったんです。1回忘れようって。2年くらい経った後に、知人から中学生を教える仕事を頼まれて、体を動かすのもいいかなと思い、引き受けました」

 地元・京都のヤングリーグで野球と再び触れ合うことになった。

 「面白かったですね。今まで楽しく野球をやっていなかった。違う感覚で物事を見られました。中学生を教えると、自分が苦労している分、この子には『これが合うんじゃないのかな』と何となくわかる。探りながら、指導方法が出てきたんですよ。そういう意味ではプロの7年は無駄ではないんだろうな、と思った。そこで初めて、僕がプロにいた意味がそこにあった。それまではあんまり語りたくない7年でした」

 指導者の面白さを見い出すと、野球への熱意がどんどん蘇ってきた。思い出したくもなかった過去が財産となって、自分の前に現れた。今ではイップスも直すことができる。10年から女子プロ野球に携わる。

 「男子にはパワーでは負けるかもしれませんが、送球の正確さや捕球から送球までのスピード、カバーリング、バックアップなど細かい基本の部分は劣っていないと思います。パワーと瞬発力の差は(男性との差)は埋まらないかもしれないけど、どこまで迫れるか楽しみです」

 

 シーズン中は週に4日が練習。午前7時半から12時まで行う。指導した後は、午後から事務所で勤務。試合のチケットの手配、日程を組む作業、選手ポスター制作など運営や営業もする。

 「教えていて、本当に面白いですよ。見たことない方には一度、女子プロ野球をどのチームでもいいので見てほしい。映像では伝えきれないので、肌で感じてほしい。最初は女子野球なんて『下手ちゃうんか?』と思うかもしれないですけど、『えっ? 意外とうまい』とか『めっちゃ、うまいなー』とも思う。そういう感覚になると思うんです。今は高校で女子野球のチームが増えてます。各都道府県に1校でも増やして、全国大会とかやれるようになったらいいですね」

 昨年、兵庫ディオーネは、ヴィクトリアシリーズで前期、後期優勝。年間女王になり、アマチュアを含めた真の女王を決める「ジャパンカップ」も制した。指導者として花開いた。20年前の甲子園ではメディアの誘導尋問から「次は完全試合を狙います」というセリフを発し”ビッグマウス”と呼ばれたこともあった。4球団の競合でドラフト1位でオリックスに入団も、プロではケガに苦しんだ。野球から離れ、心に蓋をした時期もあったが、今は人生の大切な一片であり続けている。これからの川口さんの活躍と女子プロ野球の発展に期待したい。(記者コラム・月刊ジャイアンツ副編集長 楢崎 豊)

最終更新:7/15(土) 14:17
スポーツ報知