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「あの日」を笑顔で迎えるために、私たち家族へ

7/14(金) 11:04配信

朝日新聞デジタル

〈依頼人プロフィール〉

藤田優子さん 36歳 女性
東京都在住
主婦

    ◇

【画像】東信さんが、花束に込めた思いとは?

 今から1年ほど前の春、第二子を妊娠中に早産の可能性がわかり、子宮頸管(けいかん)を縛る手術をすることになりました。15分ほどで終わる簡単な手術の予定だったので、部分麻酔をして手術室へ入りました。

 しかし、術中に10リットルを超える大量出血を起こし、私は意識不明に。全身麻酔に切り替えられ、3~4時間にわたって懸命に止血が試みられましたが、血圧が下がり始め、私も危ない状態に陥りました。止血するには、妊娠を終了させるしかない……。決断を迫られた夫は、震える手で泣きながら、母体優先の手術の書類にサインをしたそうです。

 麻酔が切れ、奇跡的に意識が戻ったとき、先生から「赤ちゃんを出したからね」と告げられました。緊急帝王切開で生まれて来た赤ちゃんは、1310gの小さな小さな男の子。そして、脳には大きな障害が残りました。その日の記憶はまったくないので、産んだという実感もありません。1年前の4月14日。静かな誕生日でした。

 あれから1年。私たち家族は答えのない「どうして?」を繰り返す日々でした。あの日を思うだけで、胸がぎゅっと締め付けられるように痛みます。

 私は、ずっとずっと、妊娠をやり直したいと思っていました。元に戻してほしい、と。自分の大きなおなかを触って、「よかった、赤ちゃんまだおなかにいたんだ」とホッとする夢を毎晩のように見ては、目が覚めてぺたんこのおなかを触って、涙が止まりませんでした。

 「2人とも命が助かったのだから、これがベストだったんだ」と言われるたびに、だったらどうして誰もおめでとうって言ってくれないの? と噛(か)み付いていました。

 そんなとき、ある方に言われました。「お母さんと赤ちゃんで支えあった命なんですね」。はっとしました。あの日、私と息子が命を支えあったということは、私が知っている唯一の事実であり、私が子どもたちに話してやれる、唯一のあの日の意味です。その言葉にどんなに救われたでしょうか。

 ずっとずっと、この子じゃなくていいと思っていたはずなのに、この子じゃないとだめなんだと思うようになっている自分に気がついて、うれしくなりました。息子と命を支えあったあの日があるから、いま私たち家族はここにいるのです。

 一生寝たきりかもしれない息子を前に、あの日を思い悩む気持ちは消えません。でも、だからこそ、私たちが私たちの幸せを探し続けるために、これから何度もやってくる4月14日を、前の年より輝いた笑顔で迎えたいと思うようになりました。いまは意思の疎通ができない状態であっても、きっといつか思いを伝えあえる日がくると私たち家族は信じています。

 息子の将来と引き換えに命を助けてもらった私と、それを決断した夫。2歳の長女には寂しい思いも我慢もたくさんさせていますが、その笑顔が私たちを支えになっています。娘の味方でいてくれる私の母、ばあばもいます。そんな私たちにエールを送る花束を作ってもらえないでしょうか。

 息子は首もすわらない重度の脳性まひですが、目でしっかりと思いを伝えようとする強い子です。娘は、そんな弟に一生懸命、世話と焼きもちを焼く、明るくて元気いっぱいの優しい子です。そして、大きくて穏やかな夫、まっすぐで気の強い私。前向きな母。紫色のアジサイなどを使い、やさしい雰囲気の華やかさがあり、見るだけでうっとりするお花だとうれしいです。

朝日新聞社