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露カラシニコフ社の再生 米国の制裁はね返す

7/14(金) 15:52配信

ウォール・ストリート・ジャーナル

 【イジェフスク(ロシア)】ロシアの武器大手カラシニコフ・コンサーン社はかつて、米国に照準を合わせていた。名高い自動小銃「AK-47」(通称カラシニコフ)のメーカーだった同社は、米国に銃製造工場を立ち上げ、世界最大の民生用銃市場の需要に対応することを目指していたのだ。

 しかし米政府が2014年に発動した対ロシア経済制裁の対象に同社も入ったことから、米国進出計画は立ち消えとなった。だが同社は、手頃な費用で軍装備品を拡充しロシアとの関係緊密化を望むアジアやアフリカなどの各国政府に直ちに照準を切り換えると、販売はうなぎのぼりとなった。

 「米国の制裁で、カラシニコフ社は民生用重視企業から軍需企業に転換した」と、同社のアレクセイ・クリボルチコ最高経営責任者(CEO、41)は語る。同社の昨年の売上高は前年比2倍増の3億ドル(約340億円)に達した。今年も倍増が見込まれている。

 カラシニコフは、旧ソ連の武器産業の世界展開の象徴だったAK-47をもう製造していない。だが同社経営陣やアナリストによれば、同社の最新の自動小銃のセールスポイントはAK-47と同じだ。つまり、シンプルで使い勝手が良く、劣悪な環境下でも性能が落ちない。しかも競合商品に比べ安価なのだ。カラシニコフは狩猟用やスポーツ用の各種武器も販売しており、最近では無人機メーカーや造船業者も買収し、業容を拡大している。

 同社の再生は、低迷するロシア経済の中では珍しく明るい材料だ。ロシア経済は、ソ連崩壊後の25年間ずっと国家が支配してきた。過去15年間権力の座にあるウラジーミル・プーチン大統領は、国家主導の資本主義を推し進め、基幹産業に対する政府の影響力を拡大してきた。

 カラシニコフは、厳しく管理されている武器産業にあって、初めて政府と民間の投資家のパートナーシップにより再建された。官民の投資額は過去3年間で約120億ルーブル(約2億ドル)に達する。5年前には同社のイジェフスク工場はぼろぼろだった。債権者が取り囲み、注文は途絶え、労働者は雨漏りする屋根の下で、ソ連時代の機械を使って懸命に仕事をしていた。

再建に賭けた投資家は、新たに経営者を採用した。経営者は設備を一新し、労働慣行を見直し、従業員を4000人から7000人に増員した。「生産工程は劣悪で、技術も設備も時代遅れとなっていて、業績は惨憺(さんたん)たるものだった」と、カラシニコフのドミトリ・タラソフ社長は振り返る。「機材も工程も一新し、組織を簡素化してデジタル化した」

 カラシニコフを所有しているのは、クリボルチコ氏のほか2人の実業家と、国営会社のロステフだ。こうした所有者たちは官民のパートナーシップが最良の形で実を結んだと自賛する。つまり、効率性と利益を重視する民間の資本と経営陣に、戦略産業への国家の関与による安定がうまく結び付いたというのだ。「これまでの状況を考えると、カラシニコフが再建に成功したのは驚きだ」と、モスクワに拠点を置く防衛シンクタンク戦略技術分析センター(CAST)のルスラン・プクホフ氏は話す。

 アナリストによれば、カラシニコフの新たな投資家がロシア政府とのつながりがあることも役立った。

 ロステフのセルゲイ・チェメゾフCEOは、プーチン氏が旧ソ連の情報機関である国家保安委員会(KGB)の職員としてドイツ・ドレスデンに駐在していたときからの知り合いだ。アナリストによると、クリボルチコ氏のパートナーの1人であるアンドレイ・ボカレフ氏は、セルゲイ・ショイグ国防相の親しい知人だ。プーチン氏は4月にボカレフ氏を「ロシアの勤勉な起業家」と称賛していた。

 こういった利点は、融資の実現と企業買収につながった。政府とのつながりのおかげで、カラシニコフはイジェフスクに本拠を置く小型無人機メーカーのZala社を買収できたと、アナリストは指摘する。プーチン氏は昨年、カラシニコフの工場を2回視察して同社の再生を称賛し、カラシニコフは「生まれ変わった」と述べた。同氏は2015年に同社の自動小銃をエジプトのアブデル・ファタ・シシ大統領に贈った。

 イジェフスクは、モスクワから東に960キロ離れた地点にある町である。19世紀初めにナポレオンと戦うために武器の製造を始めて以降、ロシアの武器産業の中心地であり続けている。ソ連時代には、何百万丁ものAK-47を世に送り出した。AK-47は世界中の革命や反体制運動の象徴になった。

 AK-47は、小型武器の拡散の象徴にもなった。冷戦後、共産圏で作られた安価なカラシニコフのコピーが第三世界に流れ込んだ。操作がしやすいこの自動小銃は、正規兵だけでなく、民兵や少年兵の間でも人気となった。

 1991年のソ連崩壊も、カラシニコフに大きな打撃を与えた。国からの注文も投資も途絶えた。同社は2010年代の初めまでは、倒産に向かっているように見えた。4人のCEOが次々と交代した。

 ロステフは2011年に同社の再生に着手した。14年に大量の債務を抱える同社の株式の49%が、クリボルチコ氏とそのパートナーに13億ルーブル(3600万ドル、現在のレートで約40億7000万円)で売却された。同氏らは同社再生のために大量の資金を投じることを表明した。

 クリボルチコ氏はCEOになり、経営幹部を新たに採用し、設備の一新や管理を任せた。幹部らは工場の刷新に取り掛かった。新しい機材を購入し、組み立てラインを短縮し、効率化を実現した。ソ連時代に部品を切断するのに使われていた機械30台は、1台のレーザーカットマシンに入れ替わった。社内のやりとりは、全てデジタル化された。例えば、機材の不具合は、紙のメモではなく、コンピューター端末とスマートフォンを通じて報告されるようになった。クリボルチコ氏は、「多くの企業では何十年も前に行われていたような、ごく基本的なことだ」と話した。

 だが、何カ月もたたないうちに、同社の戦略は根底から覆された。米財務省が、ロシアによるウクライナへの軍事介入を受け、カラシニコフを制裁対象にしたからだ。カラシニコフは直ちに方針転換した。主な輸出先だった米国に製造工場を開設する計画を取りやめ、アジアで新たな顧客を獲得する取り組みを加速した。アジアの各国政府は、軍の装備品を、欧米のライバル製品より安価な新製品に入れ替えたいと望んでいるからだ。

 クリボルチコ氏は顧客となる国の名前を明かさないが、アナリストによると、カラシニコフはインドに製造工場を建設する可能性を検討しているほか、パキスタンの入札で同社のAK-103が採用されることを目指しているという。

By James Marson and Thomas Grove