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シンクロ世界選手権、井村HCの憧れ草分けも熱視線

7/14(金) 9:58配信

日刊スポーツ

 【ブダペスト13日=益田一弘】水泳の世界選手権が今日14日、シンクロナイズドスイミングなどで始まる。井村雅代ヘッドコーチ(HC、66)率いる日本代表は本番会場で最終調整した。リオデジャネイロ五輪後、20年東京五輪に向けた最初の世界大会。井村HCが学生時代に憧れた先輩で、現代表中牧佳南(25=井村シンクロク)の祖母久子さん(76)も熱い視線を送っている。

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 古城を望む本番会場で、厳しい視線を送った。井村HSは「明日から1戦1戦。1つ間違ったら(リオ五輪銅から順位が)1つ下に下がる」と口にした。井村HCの「憧れの先輩」も、日本から見守っている。

 今大会でデュエット・フリールーティンを演じる中牧の祖母久子さんは「孫もそうだが、みんなに頑張って欲しい」と期待する。久子さんは大阪・浜寺水練学校シンクロ部1期生。59年の日本選手権はチームで初優勝した。「水中で足を上げてお行儀が悪い、お嫁にいけなくなる、と言われた頃」と当時を振り返る。

 以来、日本にシンクロが根付いて、世界でのメダル争いが当然になった。

 これは日本水泳界のルーツにも関係する。1906年(明39)開校の浜寺水練学校では平泳ぎなどとともに、立ち泳ぎを含めた日本泳法能島流を生徒に教えていた。25年(大14)には笛や号令に合わせて20人前後の集団演技を見せる「楽水群像(らくすいぐんぞう)」が作られた。54年(昭29)に米国のチームが神宮プールでシンクロを初披露した際、久子さんの仲間が「あれ、やれなくないなあ」と考えた。プールの更衣室の壁をスクリーンにしてフィルム映像を映し日本泳法の「鴎泳ぎ(かもめおよぎ)」などの技でまねた。久子さんは「当時は真剣な顔でないと『たるんどる!』と言われた。シンクロはにこっと笑うと、それが良しとされた。楽しかった」。

 「これは水中レビューではありません。スポーツです」という前口上とともに各地で演技を披露。そんな姿に憧れたのが井村HCだった。シンクロが採用された84年ロサンゼルス五輪から代表コーチを務めて、日本に6大会連続のメダルをもたらした。そんな井村HCが今、久子さんの孫を熱血指導している。脈々と受け継いできた伝統がある。

 久子さんは「今はシンクロは北海道から九州まで全国にある」と目を細める。孫との共通点について「演技が終わった時に拍手が起きると、私は楽しかった。佳南もそういいますね」。願いは日本シンクロが自国五輪で花開くこと。日本泳法もきっかけとなり、60年以上受け継がれたシンクロのDNA。ブダペストでの輝きが、東京につながっていく。

 ◆浜寺水練学校 1906年(明39)に毎日新聞社が大阪・浜寺海岸で開校した。夏季だけの水泳教室で卒業生が生徒を指導する伝統がある。従来の競泳法に加え、立ち泳ぎなど日本泳法能島流も取り入れる。現在は大阪府営浜寺公園プールで4~6歳児の短期教室、小学生以上の長期教室などがある。シンクロ部などは年間を通じ活動。開校110年で無事故、これまで37万人以上の生徒が学んだ。第111回の今年は、7月21日から8月22日まで。

 ◆日本泳法 武芸の1つとして伝えられた日本古来の泳法。海、川、池などの環境や、長距離を泳ぐ、水中格闘などの多様な泳ぎがある。能島流は、南北朝時代に伊予の豪族、村上義弘が瀬戸内海の海賊を配下に治めて軍法を制定。その軍法が「能島海賊流」と言われ、水軍兵士に必要な武術として発達したのが能島流とされる。

最終更新:7/14(金) 10:15
日刊スポーツ