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<台湾>戒厳令解除30年 独裁体制から民主主義へ/上

7/15(土) 19:00配信

中央社フォーカス台湾

(台北 15日 中央社)台湾は15日、38年間続いた戒厳令(1949~87年)が解除されてから30周年を迎えた。歴史的な節目となるこの日に、戒厳令時代の幕開けからその終結、今日までの民主化の歩みを振り返る。

▽戒厳令時代の到来

国共内戦に敗れ、中国大陸から台湾への移転を余儀なくされた、国民党率いる中華民国政府は、1949年に戒厳令を発令。同党による一党独裁の下、台湾の人々は不安と恐怖におびえた。

▽「白色テロ」下での知識階級の反発

戒厳令下の台湾では、集会や結社、言論、出版の自由は厳しく制限された。政権批判の出版物の流通などは全て禁じられ、当局の逆鱗に触れると逮捕・投獄される「白色テロ」が横行した。だが、民主を渇望する人々は密かに力を蓄え始める。1961年、台湾民主化運動の先駆者とされる黄信介氏が台北市議会議員に当選したのをきっかけに反国民党勢力が急速に結束し、1970年以降に活発化する党(=国民党)外運動の基礎を作った。

▽美麗島事件勃発

黄信介氏を発行人として創刊された反体制派の機関誌「美麗島」が1979年12月、南部・高雄市で世界人権デーを記念するデモ行進を実施。デモに参加した市民らが警察や憲兵と衝突し、約200人が負傷した。黄氏や同誌副社長だった呂秀蓮元副総統ら関係者は逮捕され、軍事裁判にかけられた。

▽519緑色行動

民主活動家の鄭南榕氏らが、戒厳令の布告日5月19日を記念することを口実に、戒厳令解除を求める集会を計画。1986年同日、龍山寺(台北市)に数百人を集めた抗議活動を行い、警察に約半日包囲される事件に発展した。民主活動家による最初の民衆運動とされる。

▽民進党結党

1986年9月28日、円山大飯店(台北市)に集まった民主活動家や支援者ら132人が民主進歩党(民進党)の結党を宣言。陳水扁元総統はかつてマスコミに、美麗島事件と民進党結成が戒厳令解除につながったとの認識を示している。

▽戒厳令解除の兆し

1986年10月7日、蒋経国総統は、訪台中だった米紙ワシントン・ポストの発行人、キャサリン・グラハム氏との対談で戒厳令について尋ねられ、解除の用意があると回答した。この時通訳を担当していた馬英九前総統は後に、「身体に電流が走ったようだった」などと当時の心境を振り返っている。

▽大規模デモ「桃園空港事件」

民進党結成後、国民党政権に追われ、海外逃亡を余儀なくされていた反体制派の一部が帰国を図った。1986年11月30日、「美麗島」社長だった許信良氏らを出迎える人々が中正空港(現桃園空港)に集結しデモ活動を展開、軍や警察が出動する騒ぎとなった。

▽大学のキャンパスからも自由を求める声が

当時、教育機関も一党独裁の影響を免れていなかった。一部大学で学長も職員も国民党の支配下に置かれ、学内誌も検閲の対象となった。台湾大学では民主化運動に参加した学生が退学処分になる事件も発生した。1987年には、キャンパスの完全な自由を求める同大学の学生たちが組織的な抗議活動を展開、その後の学生運動の先駆けになったとされている。

▽戒厳令解除を求めたデモ行進

1987年5月19日、民進党は台北市内で抗議活動を行い、戒厳令の解除と立憲政治の実現を強く要求した。

▽戒厳令、解除へ

1987年7月7日、戒厳令を解除する案が立法院(国会)を通過、38年の長きにわたる戒厳令は同15日、ついに解除された。

(編集:塚越西穂)