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野々村・開星監督「命がけでやれ」 トラ糸原の高校時代

7/15(土) 10:59配信

朝日新聞デジタル

 開星高校(島根)で甲子園に3度出場し、今シーズンから阪神タイガースで活躍する糸原健斗選手(24)。高い打撃技術と脚力、強肩を兼ね備え、ルーキーながら1軍の試合にも多く出場している。プロ野球選手を目指していたという高校時代を振り返り、島根の球児たちにエールを送ってもらった。

【写真】島根出身のプロ野球選手・糸原健斗さん=26日午前、兵庫県西宮市、堀内義晃撮影


――プロ選手になることを意識し始めたのはいつですか

 夢は野球を始めた頃(小学生)からずっとプロ選手でした。高校2年の春に初めて甲子園に出て歓声を浴び、「絶対にプロに行きたい」と強い思いに変わりました。

――プロを意識し、練習への心構えは変わりましたか

 初めて甲子園に出た時から、「またここに来たい、何回も試合をしたい」と思って練習をするようになりました。

――高校の頃のまだ覚えているミスや失敗はありますか

 失敗してばっかりでしたね。エラーだったり記録に残らないミスだったり。野球をする中ではつきものでした。でもミスで試合に勝てないのはもったいないので、ミスをしないように意識して練習し、とにかく準備をしっかりしようと思っていました。当時の開星高校では野球以外でも厳しく指導していただいたので、遅刻などのへまはできなかったですね。

――開星のチームメートや恩師はどんな存在でしたか

 野々村直通監督(当時)はインパクトの強い人でしたが、監督にやらされるのではなく、自分たちでやろうと仲間たちで言っていました。ベンチ入りできない3年生やメンバーの分まで頑張ろうと話すことも多かったです。野々村監督は「命がけでやれ」が口癖で、その教えは練習でも試合でも常に意識していました。

――2010年夏の甲子園、仙台育英(宮城)戦で、糸原選手が放った逆転サヨナラ打かと思われた当たりが好守備に阻まれた場面がありました

 甲子園は「まさか」ということが起きるのだなとあの試合で感じました。勝てると思った分、本当に悔しかったです(結果は5―6で敗退)。でも、今となっては野球が面白いなと感じることができたいい思い出です。

――高卒後すぐではなく、大学と社会人を経てプロ入りしました。もどかしさや不安はありませんでしたか

 プロに行きたかったら、途中で諦めたらダメだとずっと思っていました。常にプロを意識しつつ、練習や試合で結果を残すしかないと思って必死にやっていました。不安になってもしょうがないので、やるしかないと考えていました。

――島根の球児たちへ応援のメッセージを

 1試合、1試合全力で。この仲間と野球ができる時間も少ないですし、3年生だと最後になると思います。悔いが残らないようにプレーしてほしいです。(聞き手・市野塊)


     ◇

 いとはら・けんと 右投げ左打ちの内野手。1992年雲南市生まれ。大東中から開星高校に進み、1年秋から三塁手としてレギュラー入り。甲子園に春2度、夏1度出場した。1年後輩には白根尚貴選手(横浜DeNA)がいる。明治大、JX―ENEOSを経て2016年のドラフトで阪神から5位指名されて入団。1年目から即戦力として活躍し、5月にはセ・リーグ新人最長記録となる10打席連続出塁を達成した。175センチ、80キロ。

朝日新聞社