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中国、2018年が「節目の年」となるワケ 株は手仕舞うのが賢明

7/16(日) 9:40配信

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人類はつねに同じようなことを繰り返していることに気づけば、いずれあなたもきっと未来を予見できるようになるはずです。今日の時点で明日のことを予測できるようになったら、他人よりもチャンスが拡がるのは当然のこと。はるか1000年前から人々の営みは変わらないのですから、けっして不可能ではありません。

歴史を検索し、過去の時代から「未来予測」のための糸口を見つけ出すのです。場合によっては、途方もなくはるか昔の地点まで遡ることも必要となります。

(本記事は、菅下 清廣 氏著『歴史から学ぶお金の「未来予測」』かんき出版 (2015/7/3)の中から一部を抜粋・編集しています)

■1000 年前から人類は同じことの繰り返し

そういった意味でも、「中国の歴史」をクローズアップするのが相応しいでしょう。考古学において存在が立証されている殷王朝から数えても4000年の歴史を有し、神話・伝説上の黄帝が実在したとすれば、さらに5000年にも及ぶとも言われています。

とはいえ、かの国の歩みの中でも特に注目すべきは、長く眠り続けてきた獅子が目覚めた瞬間でしょう。今や〝世界の工場〞としてはもちろん、〝世界の消費市場〞としても存在感を強めている中国ですが、こうした快進撃はいつ頃から始まったのでしょうか?

無論、共産党の支配になってから、直ちに変わったわけではありません。中国と言えば、誰もが人民服に身を包み、大挙して自転車で移動している。こうしたイメージが強烈だったのは、それほど昔のことではありません。中国が豹変したのはいつなのか?

■中国現代はあえて格差拡大を容認する「先富論」

ズバリ、結論から申し上げますと、中国の飛躍の起点は1978年に鄧小平(とうしょうへい)が「改革開放」という名の経済政策を掲げたところになります。

周知の通り、中国の国土は極めて広大で、13 億5000万人超もの人々がそこに暮らしています。全領土において一気に近代化を進めていくのは、どれだけの国力があったとしても無理な話でしょう。

そこで、鄧小平が唱えたのが「先富論」でした。読んで字のごとく、「とりあえず豊かになれる条件の整った地域から先に豊かにしていこう」という主張です。

いわば、格差が生じることを容認しているわけです。そして、先に豊かになるに相応しい地域として指定されたのが経済特区(当初は輸出特別区)でした。

具体的には、広東省(かんとんしょう)の深圳(しんせん)、珠海(しゅかい)、汕頭(せんとう)、福建省の厦門(あもい)です。1979年にこれら4都市は経済特区となって、輸出入関税の免除や所得税の3年間据え置きなどといった優遇措置が適用されました。

その狙いは、海外からの資本流入と先進技術の習得です。外資系企業を積極的に誘致し、中国側が土地や建物を提供したうえで合弁企業を設立することで、単に外貨を稼ぐだけでなく、技術やノウハウを学び取ろうとしたわけです。併せて、100%外資の企業が特別区に進出することも認められました。

さらに、1988年にはベトナムに程近い海南島が5つ目の経済特区となりましたが、その翌年にはこうした歩みの足を引っ張る事件が勃発します。1989年6月4日に発生した「六四天安門事件」です。鄧小平はデモを武力で制圧し、国際社会からも批判を浴びて、政治における求心力が低下しました

しかし、それでも鄧小平は「改革開放」を推進します。1992年には深圳、珠海を視察し、自らが主導した政策が大成功していると自画自賛するとともに、さらなる推進に関してハッパをかけました。いわゆる「南巡講話 」です。

その後、中国は「社会主義市場経済」を標榜しながら、破竹の勢いで急成長を達成しました。経済特区に選ばれた沿岸部と、蚊帳の外だった内陸部では格差が拡大の一途を辿りましたが、「先富」と宣言していた通り、鄧小平にとってそんなことは想定の範囲内だったのでしょう。それはともかく、中国の長い歴史の中でも改革開放が始まった1978年は極めて重要な意味を有している年だと言えます。

■天安門事件の勃発と歴史の波動

1978年を出発点として新たなる道を歩み出した中国は驚異的なスピードで経済成長を遂げ、瞬く間に上海をはじめとする沿岸部には高層ビルが建ち並びました。その一方で、2001年には念願のWTO(世界貿易機関)加盟を果たし、安価な労働コストを武器に〝世界の工場〞として台頭しました。

これから先もバラ色のストーリーが待っているかどうかが気になるところですが、それを予測するうえでは歴史の波動に注目するのが有効です。

歴史においては、3年、7年、20年、40~60 年といったサイクルが重要な意味を持ってきます。1978年を起点に、これらの年数を当てはめてみましょう。

それから3年後は1981年、7年後は1985年、20年後は1998年、そして、40年後は2018年です。私はこの2018年が中国にとって重要な年になるという予感があります。60年後は2038年となります。

まず、1981年は歴史的にはさほど注目されていませんが、毛沢東の後継者であった華国鋒(かこくほう)はこの年に中国共産党中央委員会主席兼中央軍事委員会主席といった要職を解かれています。鄧小平がライバルを追い出し、彼の権力体制がここに確立されたのです。

そして、1985年には特筆すべきイベントは発生しなかったものの、この年は中国側からすれば抗日戦争40周年の節目に当たり、総理の靖国神社参拝に対して露骨に不快感を示し始めたのもこの頃からでした。

そして、1978年を出発点に始まった中国の改革開放の路線は、1989年12月に大きな伏目を向かえます。その年の6月4日、「六四天安門事件(第二次天安門事件)」が勃発したのです。

その年の5月20日に鄧小平は戒厳令を布告。それでも参加者たちはデモを止めようとしなかったことから、6月4日の明け方に中国人民解放軍がついに動きます。デモ隊に向けて軍隊と戦車が実弾を発射し、武力による弾圧に踏み切ったのです。正確な数は明らかにされていませんが、かなりの数の犠牲者が出た模様で、鄧小平は諸外国政府からも厳しく批判されました。

■次の中国の大きな節目はいつか?

さて、ここまでは1978年を起点として、3年、7年、20年という波動上の節目と、現実の中国の歴史を照らし合わせる作業を行ってきました。残るは60年というサイクルですが、2038年はまだまだ先の将来のことであり、まさしくここからの話が「未来予測」となってきます。

その前に、まずは60年というサイクルが持っている意味について触れておきましょう。これは半世紀に1度の技術革新のサイクルとも関係しています。ロシアの経済学者、ニコライ・コンドラチェフが発見したという「コンドラチェフの波」のことです。技術革新に伴って発生する景気循環の波で、「大循環」とか「長期波動」などとも呼ばれています。

その周期は60年が有力なのですが、実際には40年か50年、あるいは60年と、大地震の周期のように少なからずズレが発生するようです。なお、こうした景気循環としては、他にも波長の間隔が異なる3つのサイクルが存在しています。

在庫循環によって約40カ月の周期で発生するのが「キチンの波」で、企業の設備投資のタイミングが影響する約10年のサイクルが「ジュグラーの波」です。そして、残る「クズネッツの波」は建設需要に応じて約20年の周期を描いています。

話を「コンドラチェフの波」に戻すと、中国にとって次に迎える歴史上の大きな節目は、1978年から数えて40年目か50年目、もしくは60年目に訪れる可能性が高いということです。つまり、2018年、2028年、2038年のいずれかということになります。

こうした波動は知る人ぞ知る存在なので、「未来予測」に長けていれば当然のごとく強く意識します。そして、とりあえず目の前に最も迫っている節目から注目されるのが自然でしょう。

したがって、まずは2018年という時点が強く意識されるようになると私は考えています。想定されるシナリオとしては、以下の2つが挙げられます。

シナリオ①:中国経済成長のピークアウト
シナリオ②:第3の天安門事件のような内乱、大騒動が発生する

つまり、2018年という年は、中国にとって特別な年になる可能性があるのです。どちらにしても、中国にとっては一大事となるでしょう。

もし、2018年が、中国にとって平穏な1年となるのならば、2028年が中国のターニングポイントになるかもしれません。もし中国の株式や不動産に投資していたなら、とりあえず2018年までには一度、手仕舞っておくのが賢明です。

個人的には、シナリオ②の可能性のほうが高いとにらんでおり、何らかの騒動が中国国内で発生すると思っています。

菅下 清廣
スガシタパートナーズ株式会社代表取締役。国際金融コンサルタント、投資家。立命館アジア太平洋大学学長特別顧問。マーケット情報配信サービス「スガシタボイス」、株価の解説・予測が無料で読める「スガシタレポート オンライン」を配信中。

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最終更新:7/16(日) 9:40
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