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「快速急行」ではなく「準特急」 歴史からたどる「京王らしさ」、その未来は

7/16(日) 7:10配信

乗りものニュース

「出資者と等しく社員と顧客を大切にします」

 東京都心から多摩地域にかけて鉄道路線網を形成している京王電鉄。まず、その歴史をたどってみましょう。

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 京王電鉄の前身、日本電気鉄道は1905(明治38)年に軌道敷設を出願。当初、東海道本線の蒲田駅(東京都大田区)と甲武鉄道(現・JR中央本線)の立川駅(同・立川市)を結ぶ路線と、途中の府中で分岐して内藤新宿に至る路線、という構想でした。その後、日本電気鉄道は1906(明治39)年に武蔵野電気軌道へ、1910(明治43)年に京王電気軌道へ名を変え、1913(大正2)年4月に笹塚~調布間12.2kmが開業します。

 東へ向けた延伸は、1915(大正4)年、新宿追分駅に至りました。現在の新宿三丁目駅付近です。西へ向けた延伸は、1916(大正5)年に府中駅(東京都府中市)まで達しました。しかし経営は不調。追加資金も集められず、延伸は停滞します。府中と蒲田を結ぶ路線は実現しませんでした。一方、府中~東八王子(現・京王八王子)間は玉南電気鉄道によって1925(大正14)年に開通しました。その翌年、京王電気軌道は玉南電気鉄道を合併します。

 京王電気軌道は東京市電(現在のいわゆる都電)と同じ軌間(線路の幅)である1372mmを採用していました。一方、玉南電気鉄道の軌間は官営鉄道(現在のJR在来線)と同じ1067mmでした。そこで、玉南電気鉄道の軌間を1372mmに改造し、1928(昭和3)年から直通運転を開始しました。このような経緯から、京王線系統の路線と直通運転する都営新宿線は、珍しい「路面電車軌間を採用した地下鉄路線」となりました。

 ところで、経営不振だった京王電気軌道は、なぜ玉南電気鉄道を買収できたのでしょうか。その鍵になる人物がいました。『京王電鉄のひみつ』(PHP研究所)によると、1915(大正4)年に専務取締役待遇で招かれた井上篤太郎の記述があります。衆議院議員であり、玉川電気鉄道の経営者でもあった井上は財界からの信用も厚く、銀行から追加融資を取り付けました。その資金で府中駅延伸を完成させ、玉南電気鉄道を買収したというわけです。

 井上の経営理念は「鼎足(ていそく)主義」でした。「鼎」とは中国の器で、3本の足を持ちます。井上は、会社を支える3本の足は株主、社員、顧客だと考え、等しく大切にする方針を示しました。株主には配当を厚く、社員には高利の社内預金制度や持ち株制度を、顧客には割引運賃や小児半額制度を導入します。のちに京王電鉄は、戦後初めて、2000(平成12)年に女性専用車両を導入しました。そんなところにも顧客を大切にする「鼎足主義」の理念を感じます。

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