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[映画レビュー]平凡なタクシー運転手の目を通して描かれた“80年の光州”

7/16(日) 11:35配信

ハンギョレ新聞

『タクシー運転手』 加害者・被害者ではなく第三者の視角で描く 光州の惨状を知らせた“青い目の目撃者”実話を再構成 新派抜いて歴史的重量感・映画的娯楽性うまく混ぜ

 この映画が初めてではない。これまで1980年光州(クァンジュ)民主化運動(5・18)を扱った劇映画は何本も作られた。『花びら』(1996)、『ペパーミントキャンデー』(2000)、『華麗なる休暇』(2007)、『26年』(2012)まで…。映画は忘れられるかもしれないその日の歴史的痛みを、十分に噛みしめて反芻してきた。これらの映画は、すべて被害者、あるいは加害者の観点で光州を描き出したという共通点を持つ。封切りの度に、興行の成功・不成功とは関係なく一部で「感情の過剰」を指摘したり「感情移入の困難性」を訴えたことは、もしかしたら観客の大部分が光州の加害者でも被害者でもない「第三者」であるためかもしれない。8月2日に封切りされる『タクシー運転手』は、その点で5・18を扱った前作らとは区別される。この映画の独特さはタクシー運転手という「外部者」の目を通して光州民主化運動を描き出すことだ。この映画の最も大きな特徴はここにある。

 映画はチョ・ヨンピルの「タンバルモリ」を楽しそうに歌うマンソプ(ソン・ガンホ)の姿から始まる。1980年5月ソウル、マンソプは「親のすねを囓りながらデモをする分別のない学生のせいで道が混む」と言って怒りまくるタクシー運転手だ。妻と死別して、男手一つで育てた11歳の娘と生きる彼は、滞納している家賃10万ウォンに苦しむ平凡な小市民だ。ある日、彼は偶然に「光州まで連れて行ってソウルに無事に帰れたら10万ウォン払う」というある外国人に出会う。その外国人は身分を隠して光州を取材しに来たドイツ人記者、ピーター(Thomas Kretschmann)。マンソプは光州で何が起きているのか全く知らずに喜んだ。光州に行く道、軍人がバリケードを張り進入を阻むと、マンソプはタクシー代を受け取るためにあらゆる機知を発揮する。迂余曲折の末に光州に到着したマンソプとピーターは、「大学歌謡祭に出るために大学生になった」という純真なジェシク(リュ・ジュンヨル)と光州の現実に怒る情深いタクシー運転手のテスル(ユ・ヘジン)らに会う。そしてマスコミ報道とはあまりに違う光州の残酷な現実と直面したマンソプは、混乱と恐怖のるつぼに陥ることになる。

 『義兄弟』、『高地戦』で韓国近現代史の痛みを古い新派的装置に頼らずに淡々と描き出したチャン・フン監督は、『タクシー運転手』でもその技を十分に発揮する。今まで私たちがマスコミを通じて見てきた光州の惨状が、ピーターのカメラのレンズを通じたものだとすれば、映画を通じて観客が眺める光州の惨状は平凡なタクシー運転手マンソプの目を通したものだからだ。「他人事」として片付けてきた光州の不幸をすべて「自分のこと」として受け入れ、変化していくマンソプの視線を観客もついて行くように仕向ける賢い方法だ。観客は、映画の中のマンソプがそうであるように、他者化した光州の悲劇を結局自分化する経験をすることになる。映画はまた、光州を守ろうと立ち上がった人々は、特別に正しくもなく、特別に勇敢でもないテスルやジェシク、そしてマンソプのような小市民だと主張する。大層な理念や思想で武装しなくとも、平凡な常識と道理を持っている人ならば共にするほかはなかったのだと語る。

 『タクシー運転手』は、冒頭で明らかにするように、唯一1980年の光州の惨状をカメラに収め、全世界に知らせたドイツ人ジャーナリストのウィルゲン・ヒンツペトの実話を再構成した映画だ。あらすじと結末を簡単に察しうるという「決定的限界」を克服するために、映画は多様な調味料を添加する。ソウルから光州に行くマンソプとピーターの旅程で、言語の障壁により生まれるわずかな笑い、報道を阻もうとする軍人とマンソプ一行の追いつ追われつの追撃戦、まるで戦争を彷彿とさせる程の光州の市街戦場面、多少旧態依然だが必ず通じる父性愛コードなどがまさにそれだ。だが、こうした“メッセージ”は、歴史の重量感と商業映画の娯楽性の間を絶妙に綱渡りする監督の演出力のおかげで、それほど過度には感じられない。

 『雪国列車』、『観相』、『弁護人』、『思悼』、『密偵』まで興行不敗の神話を続けてきたソン・ガンホは、今回も観客を裏切らない。徐々に盛り上げながらも、きわめて節制された感情演技は「やはり信じて見られる俳優ソン・ガンホ」という賛辞が尽きない。今や新鋭という修飾語が似合わないほど存在感が大きくなったリュ・ジュンヨル、元祖名品助演のユ・ヘジンらの演技も自然にかみあう。全国9地域をモザイクしながら再現したという80年代光州の風景、プリサやポニーのような、その時期のタクシーなども映画への没入力を高めるのに効果を上げている。

 そして最後に重要な助言を一つ。“ウルトラスーパー”級の膀胱容量を誇る観客でないならば、137分のランニングタイムを考慮して映画上映前に必ずトイレに寄ることをお薦めする。

ユ・ソンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:7/16(日) 11:35
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