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人々を魅了し続ける「カリブの海賊」、その実像に迫る<下>

7/16(日) 9:07配信

CNN.co.jp

(CNN) 17~18世紀、世界の海をまたにかけての略奪で悪名をとどろかせた海賊たちは、現在もなお小説や映画の題材になるなど人々の間で高い人気を誇っている。

自由な身分や一獲千金を夢見たこれらの海賊たちだが、当局の取り締まりで捕まれば死罪は免れない。航海中に遭難するリスクもついて回り、常に命を危険にさらして生きていたのが実態だった。記録に残っているほとんどの海賊は、悲惨な末路を迎えたことで知られている。

歴史上の海賊行為を専門に研究するデイビッド・ウィルソン氏は、当局が海賊の転落話を抑止力として広めようとしたと指摘。「将来の海賊を思いとどまらせるため、こうした男たちが海賊行為を通じて破滅したとのメッセージを発していた」と述べる。

その例は枚挙に暇がない。例えば、海賊の世界で飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ブラック・サム」ことベラミー。26歳だった1715年には、「ウィダー号」の船長として南北米大陸で最も恐れられる男になっていた。

ウィダー号は1717年、北米東部のコッド岬に向かう途中に嵐に見舞われ座礁、財宝を乗せたまま沈没した。160人あまりが死亡し、ベラミーの遺体はついに回収されなかった。

このほかに有名なのはジャック・ラカムの物語だ。ラカムは1720年に拘束され、絞首刑に処された。

ラカムの掲げた旗には頭蓋骨と交差した骨という、今日海賊旗と聞いて誰もが連想する図案が使われていた。このデザインは英作家スティーブンソンの小説「宝島」で有名になった。ウィルソン氏によれば、他船に恐怖を与えるため、海賊の旗には何らかの形で死の象徴が描かれていたという。

ラカムは逮捕の際にメアリー・リードとアン・ボニーという女性の海賊を伴っていたことでも有名だ。当時の女性海賊として知られているのはこの2人だけだ。

2人は絞首刑になる見込みだったが、出産を控えた母親は助かると知り、勾留中に見張りを誘惑して妊娠。極刑を免れ、当時ロンドンのメディアで大きなニュースとなった。

だが、最も大きく報道されたのは「黒髭(ひげ)」ことエドワード・ティーチだ。

海賊に関する著書のあるコリン・ウッダード氏によれば、金銭的な意味で最も成功を収めた海賊を挙げた場合、黒髭はトップ10にも入らないとみられる。黒髭が実在した海賊として群を抜いて有名なのは、恐怖のイメージを作り上げたためだという。

黒髭は恐怖によって世界の海を支配した。ぼさぼさの長いひげを伸ばし、貴族から盗んだ衣服を着て、ジェントルマンの身なりをした荒くれ者というイメージを打ち出した。弾薬や火薬も身に着け、戦闘の際はそれらから発する炎や煙で敵を威圧したという。

相手に恐怖を与える黒髭の戦術は奏功した。彼が殺害や傷害行為に及んだという記録はない。全員がただ降伏した。1718年、英王立海軍と繰り広げた最後の戦いまでは。

ウッダード氏によれば、黒髭の行方を追う水兵らを率いたのはロバート・メイナード大尉だった。勇敢な若い将校と海賊が船上で戦うという定番の話は、黒髭との決闘がモデルになったという。

黒髭はメイナード大尉の船に乗り込み、短刀とピストルを手に死に至る決闘を挑む。剣と銃弾による応酬の末、メイナード大尉は黒髭を殺害。その首を切り取って船首からつり下げ、米東岸を航行した。こうして、悪名高いエドワード・ティーチが戦闘で死亡したというニュースが衝撃とともに広まっていった。

ただ、黒髭を巡ってはひとつの謎が残されている。日記の行方だ。

日記はメイナード大尉により回収され、拘束された船員の裁判で証拠として使われたものの、裁判後に歴史の舞台から消えた。日記を再び入手することができれば、海賊史の中でも最重要級の発見となるだろう。



連載終わり

最終更新:7/16(日) 9:34
CNN.co.jp