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ちょっと古めのクルマを味わう。でもSUBARUの先進技術には感謝

7/17(月) 21:20配信

投信1

自分がわがままなのかもしれないが、どこから見ても惚れ惚れしてしまうような隙のないデザインというか、ボディの様々な曲面やラインが無理なく無駄なく交わりあって、ひとつの連続したデザインを感じさせるようなクルマに出会うことは難しいなあと、つくづく感じている。

「あっさり&もっさり」な後ろ姿のクルマに腰が砕ける

これまで輸入車を中心にざっと100台近くのクルマを愛車として乗り継いできた。いつも新しく迎えた次期愛機を、今度こそは長く乗るぞ! と心に誓う。

けれども、落ち着いてくるとデザイン処理のどこかで、うーん…なんだかなあ…と感じてしまうところが出てくる。そして挙句の果てに、そこのデザインがどうしても好きになれずに、結局ほかと入れ替えてしまったというクルマたちが何台もある。

ある時は、フロントグリル周りからフロントウィンドウにかけてのデザインが、正面から見るととても素敵なのに、斜め下から少し見上げるように見ると、なんとも不格好に見えてそれが気になり始めてしまうとか、またある時は、前から見ても後ろから見ても完璧といえるほど素晴らしいデザインなのに、どうにも横からの姿が間延びしているように感じてしまう、などなど。

そんな思いを何度もして、私の場合はテールのデザインに結構こだわりが強いということがわかってきた。

実際に、フロントデザインは睨みつけるような切れ上がったLEDヘッドライトがガンダムにでも出てきそうなカッコよさを感じさせるクルマが走ってくると、「おおおーっ!  凄いじゃないのあのクルマ!」と思わず立ち止まってしまうのに、通り過ぎていく後姿が何とも腰が砕けるような、あっさり&もっさりとしたデザインだったりすると、途端に「なんだかなあ~」と独り呟いてしまったりする。

どの国のクルマも似通ってきた?

個人的な思い込みなのかもしれないが、特にここ最近のクルマは、猫も杓子もそろってヘッドライトはLEDを使い、切れ上がったSFチックなデザインに加えて、機能性とは関係なさそうな意図的に大きい面積をとったフロントグリルが威圧感たっぷりのイメージを与えるようなお顔立ちばかりのような気がする。

私自身は馴染めないが、きっと最近の流行りなのだろう。日本車もドイツ車もイタリア車もアメリカ車も、国境超えてみんな「クールなLEDヘッドライトにいかついフロントグリル」的傾向を感じる。

ひと昔前の中古車を見つけてきては、ハロゲンライトを汎用のHIDに付け替えて満足しているような、化石のようなオジサンさんには当分受け入れることのできないデザインであることは確かだ。

また、乗った感じも我が家にある「旧世紀の産物」のようなクルマ達とは大きく異なる。どう表現したらよいのだろう…。なんというか、どのモデルも基本的な立ち位置は同じ場所で、あとは各メーカーのお好みによる意図的なセッティングがもたらす味付けの違い程度にしか感じられないのだ。

もちろん、そうしたメーカーごとのセッティングは面白く、同じブランドであってもモデルごとの違いははっきりと感じられる。

でも、結局ベースとなる立ち位置はしょせん同じところにあって、それぞれのクルマが持つ味付けは決して冒険することはなく、決して破綻をきたすことのない、あくまでも制御の許容範囲内で施されるかのような、なにか電子制御に守られた世界の中で遊ばされているような感覚を覚えるのだ。

確かに今どきのクルマは、我が家の愛機たちに比較して、パッシブセーフティはもちろん、主にアクティブセーフティに対するデバイスのパフォーマンスが大きく異なる。

我が家の愛機たちの中で最も新しい制御デバイスを積んでいるのはマセラティ クアトロポルテなのだが、それでも2005年モデルなので、昨今の進化したアクティブセーフティデバイスによる完璧なまでの(お節介な)介入に比べたら、月とスッポンほど隔絶の感がある。そこはやはりマセラティ、不用意にアクセルペダルを踏みつけたら人生の走馬燈を垣間見ることになってしまう。

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最終更新:7/17(月) 22:10
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