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「給料の半分くらい使った」球史刻む100年前のバットに知られざる逸話 母校の野球部に寄贈 福岡県久留米市

7/17(月) 6:20配信

西日本新聞

 今年創部120年を迎えた福岡県久留米市の明善高野球部に、約100年前のバットが寄贈された。大正期のOBが社会人時代に使っていた米国製で、今なお焦げ茶色の光沢を放つ。一本のバットに刻まれた歴史をひもとく。

⇒【画像】明善高野球部に寄贈された1世紀前のバット

 寄贈したのは柳川すぎ病院院長の上野高大(たかひろ)さん(66)=佐賀県鳥栖市。バットは上野さんの祖父定(さだめ)さんの遺品で、定さんが1980年に亡くなった後は家族が保管してきたが、「祖父の母校に託したい」と寄贈した。

 定さんは1896年、久留米市生まれ。明善高の前身、中学明善校に進んだ。当時九州有数の野球強豪校だった明善は1916年、第2回全国中学野球大会(現在の夏の甲子園大会)に出場。定さんは4番レフトで出場し、2試合で3安打を放っている。

 定さんはその後、山口高等商業学校(現在の山口大経済学部)を経て社会人野球の名門、門司鉄道局(門鉄)に所属した。バットはその頃に買い求めたものらしい。定さんが生前「給料の半分くらい使った」と話していたのを高大さんは覚えている。

ずっしりと重い1200グラム

 寄贈前にバットをお借りした。ずっしりと重い。現在のプロ野球の主流は900グラム前後だが、1200グラムもある。磨き込まれたバットの保存状態は良好で、2カ所の焼き印もしっかり残っている。

 インターネットで調べると、米オークションサイトに同型のバットがあった。老舗の米野球メーカー、ルイスビルスラッガー製。製造時期は焼き印のラベルデザインから1921~31年と分かった。定さんの門鉄時代と一致する。

 誰のモデルかを示すサインも判明した。米大リーグ・レッズで当時活躍していたエド・ローシュ(1893~1988)。ローシュは大リーガーで最も重い46オンス(約1300グラム)のバットを使っていたという。どうりで重いはずだ。

元西鉄のエース川崎徳次さんとの逸話も

 バットには知られざる逸話も残っていた。プロ野球元西鉄のエース川崎徳次さん(1921~2006)との接点だ。

 鳥栖市生まれの川崎さんは小学生だった昭和初期、門司から鳥栖に転勤していた定さんに野球を教わっていた。川崎さんの著書「戦争と野球」に「鳥栖鉄道の管理部にいた上野さんという人がよく鳥栖小の校庭に来ては野球の基本的な指導をしてくれた」とある。

 南海時代に召集された川崎さんは戦後復員。高大さんによると、物資不足の当時、プロ野球復帰を模索していた川崎さんが「バットを譲ってほしい」と鳥栖の定さん宅を訪れた。中国赴任中の定さんに代わり、家族が応対。「父が大切にしているバットだから」と丁重に断ったという。

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最終更新:7/17(月) 6:20
西日本新聞