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村上春樹氏「セウォル号のような集団的な心の傷、小説で書けなくても挑戦はしないといけない」

7/18(火) 10:07配信

中央日報日本語版

新作長編『騎士団長殺し』を最近韓国で出版した小説家・村上春樹氏(68)が、出版元「文学ドンネ」の書面インタビューに応じた。村上氏はあまりインタビューに応じないことで有名だ。『騎士団長殺し』は予約注文などを通じて重版を重ね、最近4刷で1・2冊合わせ40万部を刷った。韓国では、以前のどの作品よりも反応が熱い。村上氏は「インターネットでは黒白つけるような判断が行われるのが常」であり、韓国のセウォル号のような悲劇を小説で書くのは「非常に難しい課題」と述べた。次は一問一答。

--文壇にデビューして40年が経った。

「初めて小説を書いたのが29歳だったが今では68歳だ。二十九の時は『小説なんてこれからいくらでも書ける』と考えていたが、今は『残りの人生であと何本書けるだろうか』と考える。それだけ大事に思う気持ちで作品に臨むようになった。書くことを楽しむという点は前からそれほど変わらない。楽器を自由に演奏するような感じで楽しんでいる」

--『騎士団長殺し』を書くのにどれくらいかかったか。執筆のきっかけは。

「おおむね1年半がかかった。特に構想はしていない。考えが頭に浮かんだら、自然に話をするだけだ。文章が『書かれるのを待っている』と感じれば書き始め、毎日ずっと書いて、書き上げるまで休まない。自由なこと、それが一番大切だ。構想は邪魔になるだけだ」

--小説の中の人物は信念に凝り固まっている。作家であるあなたはどうなのか。

「日常生活では意見や信念をかなりしっかりと持つほうだ。だが、より根本的な次元で私が信じているのは、むしろそういう意見や信念を一瞬にして無にしてしまうような、私自身を超越したところに存在する流れのようなものだ。そういう力を正面からしっかりと受け止めることができなかったり、そういう力に素直に身を任せることができないなら、小説を書くことはできない」

--今回の小説で南京大虐殺を扱って極右派の攻撃を受けた。

「歴史で『純粋な白黒』をつける判断はありえないと思う。だが、インターネット社会では『純粋な黒か白か』という原理で判断が成り立っているのが常だ。そうなると言葉はカチコチに固まって死んでしまう。人は言葉を石のように扱って相手に向かってとにかく投げる。非常に悲しく、危険この上ない。小説はそのような断片的な思考と対抗するために存在する。であれば、小説は一種の戦闘力を備えなければならない。言葉を生き返らせなければならない。だから必然的に『様式(decency)』と『常識(common sense)』が求められる」

--韓国のセウォル号、日本の地震などの災難に対して文学は何ができるか。

「大きくて深い集団的な心の傷を有効に表現し、癒やすことは作家にとって非常に難しい課題だ。これまでほとんど成功できたためしがないと思う。思い出すのは、『明らかな目的の下に書かれた小説は文学的にほぼ成功することはできない』という事実だ。だが、たとえそうだとしてもそういう事件を扱うのは作家の重要な課題だ。目的は持ってもその目的を凌駕する(あるいは消し去ってしまう)。どれほど難しくても作家であるなら挑戦しないといけない。できるなら、みんなが共有できる何かを構築しなければならない」

--普段から言葉の力を強調してきた。

「言葉は頭で考えて作り出せるようなものではない。体中から自然に流れ出る、あふれ出るものだからだ。意味や定義、何とか主義、場合によっては理性や善悪の概念まで超越する。時間や空間、言語や文化の違いを越えて、人々の心を動かす『善良な力』を持つ。そのような言葉の力を生き生きとした正確な文章にするためには優れた能力と多くの経験がなければならない。私は永い歳月、それなりに努力してきた」

--『騎士団長殺し』への反応が熱い。

「韓国の読者の皆様に、いつも格別の感謝を感じる」