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《ブラジル》四世ビザに「条件付き賛成」? 本人や関係者に意見聞く (7) あるデカセギ子弟の意見

7/19(水) 7:14配信

ニッケイ新聞

(ブラジル邦字紙「ニッケイ新聞」19日付)



 ブラジルに帰国したデカセギ子弟には高い日本語能力を活かし、ブラジルで日語教師になる人もいる。現在パラー州ベレン市の日本語学校に勤める忠鉢ユミ・ステファニーさん(三世、28)は3歳で訪日し、静岡県で暮らした経験を持つ。


 両親は日本語がわからず、家庭内ではポ語。忠鉢さんが日本語を本格的に学び始めたのは幼稚園からだ。担任の先生が身振り手振りを交えてゆっくりと話しかけてくれ、徐々に慣れていった。

 地域の小学校に進学し、友人と楽しい学校生活を送った。しかし上級生からは「ガイジン」とイジメを受けることもあった。「一年生のときにイジメが続き、二年生のときに石を投げられた。名前のせいだと思って親には『名前を変えて!』と言ったこともある」と振り返った。


 「その後、親がいじめっ子の家に抗議しに行ったら謝ってもらえた。それからは『話せばわかるのかな』と思って、何かあるたびに話しに行ったらイジメはなくなっていった」との辛い思い出を語った。

 入学したとき、学内の日系子弟は忠鉢さん一人だったが、学年が上がるごとに増えていった。他生徒の前でポ語の挨拶や、ブラジルの紹介、給食にブラジル食が出ることが増えた。保護者会にも通訳が付き、学校側の対応が変わっていった。

 日本で高校、短大を卒業した忠鉢さんは小児医療センターの事務員として働いた。日ポ両語を操る忠鉢さんは事務仕事のほか、通訳として看護士の補助も任されるようになった。「ポ語を喋れるといっても、専門用語や知識の勉強はしなければならない。他の人の倍働いても給料は低いままだった」と振り返った。

 3年間働いた職場では理由のわからないイジメに遭ったことも。「また話し合いで和解したが、多分、外国人だったからだと思う」と呟くように語った。「日本で高等教育機関を卒業し、仕事をしても差別があるのか…」と失望したそうだ。


 長時間労働により、疲弊していく両親の様子を見ていた忠鉢さんは「デカセギは本当に大変です」と静かに語り、「最初は良いかもしれないが徐々に苦痛になっていく。両親はストレスが原因で心臓病になり、そのせいで働けません」と明かした。

 忠鉢さんは「個人的な意見ですが」と前置きし、「ブラジルでの勉強や経験を活かして日本で専門の職を得るのは、とても難しいと思うので、それには反対です」と強調した。デカセギを希望する生徒の気持ちを尊重しつつ、自分の経験をできるだけ客観的に伝えようとしている。(つづく、國分雪月記者)

最終更新:7/19(水) 21:21
ニッケイ新聞