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日本の百貨店はまた同じ道をたどるのか?

7/20(木) 6:34配信

ITmedia ビジネスオンライン

 日本百貨店協会の外国人観光客売り上げ・来店動向の2017年6月速報によれば、昨年は頭打ち傾向にあった免税売り上げの対前年比増減が、2016年12月から6カ月連続で増加となった。百貨店業界としては、インバウンド消費の停滞が業績にも影響を及ぼしていただけに、この朗報に一安心といったところであろう。

【1980年以降の百貨店の商品別売り上げ構成比推移】

 外国人来店客数については一貫して増加傾向にあるにもかかわらず、減収に陥ったときは、円安終息の影響や越境ECの影響、訪日外国人の旅行スタイルの変化などいろいろな分析がなされ、インバウンド消費は底をついたという懸念が広がった。

 インバウンドの足元の復調は喜ばしいことではあるが、インバウンド強化に傾倒し巨大免税ショップ化しつつある百貨店を見ていると、インバウンド消費が一段落したらどうなるのかと思ってしまう。売り上げの95%以上を占める国内市場は、依然として減収基調が続いているからである。

 百貨店業界はこれまでもその時々の売れ筋商品を売り場に集約し、取り扱い商品と客層を絞り込むことを繰り返してきた。その結果客離れが進み、ブームが過ぎた後、さらに厳しい減収圧力に苦しむというのが過去のパターンだった。今度も百貨店はインバウンドを追いかけて、国内大衆顧客からさらに縁遠い商業施設になろうとしている。

 衰退の本質である大衆顧客が離れていった対策をいまだ見出せてはいない百貨店ではあるが、インバウンドの恩恵が続いている今こそ、大変革の最後のチャンスではないのか。そんな思いで、百貨店の過去を少し振り返ってみたい。

●また同じ過ちを犯すのか?

 下図は、1980年以降の百貨店の商品別売り上げ構成比の推移。大まかに言えば、百貨店が総合小売業から婦人ファッション、ブランド品、化粧品の販売店になってきた経緯が見てとれる。昭和50年代~バブル期には、専門店に押され始めた家具、家電、紳士服などを縮小して婦人服、関連雑貨に大きくシフトした。バブル後には低迷する婦人関連商品を補うため、ブランドブームに乗って、ブランド品売り場を拡大することで延命を図った。

 しかし、大衆顧客層、若年顧客層の客離れに対して抜本的な対策を取ることができないまま、ブランドブームが終わると、中高年女性、および富裕層に依存する傾向はさらに強めていく。

 すべての時期を通して拡張傾向にある食料品は、いわゆるデパ地下強化の結果であるが、百貨店にとってデパ地下は来店誘致のためのサービスのような存在であり、食料品比率の上昇は収益低下につながる頭の痛い話でもある。

 こうして百貨店は自ら商品と顧客を絞り込んで、縮小均衡を続けてきた。売り上げ減少に歯止めがきかない中、インバウンド消費の追い風が到来した百貨店は、まさに免税売り上げによって足元の業績を支えられているのだ。訪日外国人の増加は当面続くことが予想されており、「爆買い」はなくなったとしても、インバウンド消費が引き続き百貨店にとって有望なマーケットであることは間違いない。

 ただ、これまでの経緯から懸念されるのは、インバウンドを頼り、国内既存顧客の客離れに対する危機感が希薄化することである。シェア5%前後のインバウンドはカンフル剤であって、百貨店の永年の課題である国内の減収をすべて補完するほどの効果はない。インバウンドが与えてくれた時間を有効に使わなければ、いつか来た道はまた繰り返される。

●ショッピングモールが取って代わった

 百貨店が小売の王者だった昭和の時代、百貨店の店内は家族連れの大衆顧客でごった返していた。自らの昔話で恐縮だが、子どものころ(40年ぐらい前)、東京都豊島区の下町住まいだった私は、週末には親に連れられて、池袋の百貨店の大食堂で外食し、屋上で遊びながら買い物が終わるのを待っていたことを憶えている。

 ところが、今は屋上遊園地も大食堂もほぼ姿を消し、館内は高齢のご婦人の園と化している。富裕層、中高年にターゲットを絞り込んでしまった今の百貨店は、ファミリー層の取り込みを事実上放棄した(ファミリーに見える来店客も祖父母が孫のためにモノを買う「3世代消費」のための来店がほとんどと見た)。一方のファミリー層は消費の場をショッピングモールに移しており、ショッピングモールもマーケットの主役であり続けている。

 JR川崎駅西口隣接の「ラゾーナ川崎プラザ」は国内有数のショッピングモールであり、施設全体での売り上げは年間760億円を超えていて、大手百貨店の基幹店に匹敵する規模である。いつ行っても幅広い年代の買物客でごった返しており、広い中庭では子どもたちが走り回り、ベビーカーを押しているファミリー層の姿もかなり多い。食料品、生活雑貨、アパレル、家電、書籍などほとんどの商品がそろっている上に、シネコンや充実したフードコートでゆったりと時間を過ごすことができる。かつての百貨店の機能を、今ではこうしたショッピングモールが担っている。

 百貨店があきらめつつある大衆マーケットは、本当は十分に商売になるマーケットであり、ここを放棄したことが、百貨店の右肩下がりを構造的なものとした。特に若年層をあきらめたことは致命的と言える。中高年層どころか団塊世代の店となってしまった百貨店は、若年層の新規流入が激減し、世代交代が困難となってしまった。このため、百貨店は団塊世代が全員後期高齢者となる2025年には、いわゆる「2025年問題」の急激な需要減の直撃を受けることは避けられない。主力である今の中高年女性向け売り上げが激減するとしたら、インバウンドの増収効果が仮に現状維持できていたとしても、補うことは不可能であろう。

●そもそも百貨店は変革者だった

 こんなことは百貨店経営者たちは百も承知で、今のうちに方向転換に着手しようとさまざまな取り組みが始まっている。ただ、老舗業界であるだけに慎重な進め方が必要なようだ。

 三越伊勢丹ホールディングスでは、改革を進めようとしていた大西洋社長が17年3月に突如辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。新事業への積極的な投資、地方店の見直し、仕入れ方法の見直しなど、進めようとしていた施策は個別に見れば妥当なものであり、後任経営陣も最終的には同様の方向性に進んでいくことになるだろう。ただ、老舗のしがらみは外野がとやかく言うほど簡単ではないということだ。「これからは大きく変わっていける企業だけが生き残る」とは、退任後の大西氏が「ダイヤモンド・オンライン」の取材で語った言葉。多分、百貨店関係者の大半が本当は同じことを思っているはずだ。

 日本百貨店業界の源流とされる江戸時代の三井越後屋(現:三越伊勢丹)は、創業時は業界秩序の破壊者として登場したベンチャー企業だった。大衆をターゲットとして、呉服の店頭販売、定価販売、反物切り売り対応など、当時存在しなかった斬新なサービスを提供してトッププレイヤーに躍り出た。

 時代が下って大正時代、阪急グループの創始者、小林一三氏が作り出した阪急百貨店も大衆をターゲットとしたベンチャーだった。鉄道沿線を開発しつつ、多数の乗客が利用するターミナル駅の大衆向け商業施設から発展し、電鉄系百貨店という日本独特の業態の先駆けとなった。振り返れば、百貨店は大衆顧客対応で発展した業界なのである。

 時代は変わり、事業環境も大きく変化している中で、広く大衆全般に向けた総合小売業がナンセンスなのはよく分かる。ただ、ここまで顧客層を絞ってしまった百貨店が、今後も生き残っていくためには、もう一度顧客層を広げるチャレンジが必要だと思う。そのための店構えが従来の百貨店とは違っていても仕方がない。銀座松坂屋が「GINZA SIX」になって持続可能な事業となればそれでいいではないか。専門店とともに商業施設としての磨きをかけていけば、異文化の切磋琢磨(せっさたくま)が新しいやり方を生むかもしれない。実験を繰り返していけば、新たなフォーマットが生み出される可能性はある。大切なのは、百貨店の伝統や歴史を受け継ぐ商業施設を残していく、という強い意思なのだと思う。

 米国ではECに押された百貨店の店舗閉鎖が進行し、歯抜けになったショッピングセンターのニュースをよく耳にするようになっている。こうした流れは日本でも近い将来起こることなのかもしれない。ただ、リアルのショッピングセンターのすべてがなくなるわけではなく、人口が密集した日本において時間消費型の商業施設が生き残る可能性はあるはずだ。経営資源(ブランド、立地、人材、取引先)に恵まれた百貨店は、十分にその資格を持っている。

 インバウンド消費という天の助けは、チャレンジのための最後のチャンスなのだ。座して死を待つことなく、リスクを取って変革を実行するしか道はない。2025年問題までに残された時間は、もう8年を切っている。

(中井彰人)