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【著者に聞く】『バブル』を書いた永野氏、「興銀転落はジャパンラインから」

7/21(金) 12:06配信

ニュースソクラ

「市場」の視点で『バブル』を書き残したかった(永野健二氏)

 日本経済新聞を代表する記者の一人と言われた永野健二氏が書いた『日本経済の原点 バブル』(新潮社、2016年11月)が硬い経済の本としては最近では異例のヒットとなった。すでに電子本と合わせて5万部を超えたという。

 バブルがはじけた日本は「失われた20年」とも言われる経済の停滞期を経て、いまに至る。バブルは日本人ならよく知り、検証しなければならない経済現象だ。永野氏の経済取材の現場からみえた、『バブル』を、著書の行間に書き残した部分も含めて聞かせていただいた。

――『バブル』は硬い経済本としては最近では異例のヒットになりました。バブル時代を取り上げた本を追随して出そうという動きもあるようです。なぜバブルの経済史を書かれたのですか。

 全部で約300ページ、21の小節に分かれます。それぞれに物語があり、ちょっとしたニュースも入っています。1973年に日本経済新聞に入社し1992年(1993年 にニューヨークに留学するまでちょうど20年の日本経済をカバーしたものです。健康問題もあって私は東京の日経証券部から一歩も離れずに、資本市場の視点からあらゆる経済事件と事象を見ていました。

 日経の記者ならいろんな部署を経験するのが普通です。ずーと証券部なんて人はいない。  

 ジャーナリズムは視点と事実が大切と思っていますが、「市場」という視点をしっかりと見据える立場にいられた。その目から見えた日本経済を残しておきたくて執筆したわけで、日経証券部から見える日本経済なのです。

 ちょうど2年前に日経グループの経営からも離れました。じっくり腰を落ち着けて書く時間もできたこともありました。

――執筆されて、それまでと違った考えに至ったことはありましたか。

 それはもう、冒頭の第一章の1、「三光汽船のジャパンライン買収事件」です。私は入社最初に担当したのが海運業界で、この問題を担当することになったのです。三光による買占めはもう終わっていて、日本興業銀行(興銀)が仲介してジャパンラインが株を買い取る局面を取材しました。

 私にとっては、興銀に多くの取材先を得るきっかけになりました。興銀はGHQが分割させた富士製鉄と八幡製鉄を再合併させて、かつての日本製鉄を新日本製鉄として復活させた実績 もあった。それもあって、海運集約の延長でジャパンラインに入れ込んでしまいます。

 戦後の産業史の転換点でもあった「事件」でした。外国人労働者を船員として使うためパナマ船籍 の便宜地籍船を使うなど、海運はその後の海外に出て行かざる得なくなる日本企業の姿を先取りする業種でもありました。

 当時の私はジャパンラインの側に理があると思いながら取材していましたが、いま突き放してみれば、矛盾がみえ、私の著『バブル』では、それを指摘しています。

 取材していた当時とは見方が違いますし、興銀が2000億円を遙かに上回る資金を 簿外でジャパンラインにつぎこんでいると後で知りました。それが興銀の転落の始まりだったとの内部の証言も聞きました。1973年の第一次オイルショック前後のバブルからはだいぶ前の「事件」ですが、まさにバブルにつながるものとしてここから説き起こしたのです。

――興銀はバブルの主役のひとりですね。特に料亭経営者、尾上縫の事件に興銀は深く関わってしまいます。第4章1、の「謎の相場師に入れ込んだ興銀の末路」でそれを取り上げています。

 この事件を知ったのは、旧知の兼坂光則(後に新光証券会長 )氏、藤沢義之(後に興銀会長)氏という少年のような心を持った興銀マンがやむにやまれず私に告白してきたことがきっかけでした。「常識を外れた規模の、常識を外れた取引が日本興業銀行の大阪支店を舞台に行われている」と告げてきました。私はやはり証券部の編集委員で一緒の取材チームにいた 阿部重夫(現月刊誌『ファクタ』発行人)氏といっしょに取材に入りました。

 記事掲載を機に事態は急転、2ヵ月後に東洋信用金庫が3420億円もの架空預金証書を発行したと発表し、尾上縫は逮捕されます。この事件の分析に関しては、朝日新聞の村山治記者と奥山俊宏記者の週刊朝日の記事と証言に力を借りています。

 彼らの取材と尾上縫が経営していた料亭「恵川」の破産管財人だった弁護士の滝井繁男さんのインタビューが極めて優れているからです。滝井さんは管財人として興銀を相手に民事訴訟を起こし、2件に勝ち 賠償させているのですが、「私には尾上は興銀の被害者なのではないかと思えてならなかった」と語っています。興銀の「加害者性」を認めさせた裁判でした。

 わが著『バブル』では滝井さんの最高裁判事として業績にも言及しています。実はお会いしたことはないのですが、京都大学卒業のリベラルな正義感と大阪商法の理解、そして経済知識に裏打ちされた特異な弁護士だったと書かせていただいたのですが、滝井さんをよく知るという同窓の方から、まさにそのとおりの人柄と出版後に聞きました。

――滝井さんの裁判記録は、その意味が世の中には十分には伝わっていないので、それを分かりやすく書くことは、ある種の調査報道ですね。忘れられがちという意味では、大蔵省証券局(現金融庁監督局)長の佐藤徹さんを第一章4、「頓挫したたった『たった一人』の金融改革で、ま あ るまる1小節を割かれて書かれていますね。

 いまや佐藤さんという一瞬、光彩を放った証券局長を覚えている人は少ない。証券局を資本市場局にすると唱え、証券会社の監督局から市場を監視・育成する局に変えようとした人です。

 また、興銀を投資銀行(証券会社)にしようと仕掛けながら実現はしなかったのです。そして肝臓癌で証券局長に在職のまま亡くなる。私が書かなければ誰も書く人はいないという思いから、書き起こした小節です。

 興銀関係者によれば、あの投資銀行構想は当時の興銀頭取だった中村金夫さんが佐藤さんに持ちかけたもので、興銀の主流のドイツ銀行をモデルとする産業金融派に対して、あえて言えば米国派の中村さんの思いが込もった案なのです。

 でもその中村さんが銀行の名前を捨てることができなかった。それで頓挫します。その後の銀行、証券の相互参入などの金融自由化に先鞭をつけた構想でしたが、似て非なるものだったと思っています。

 この章は私にとっては、佐藤さんを通して大蔵官僚論を書いた章でもあります。そのため、いったんはこの章の冒頭に2015年に亡くなった香川俊介元次官を書いたのですが、その部分は結局、削りました。いずれ書き残したいと思います。

――金融の自由化、再編という面では、第1章4、「大蔵省がつぶした『野村モルガン信託構想』」は野村証券が仕掛けた金融行政への挑戦として、まさに金融改革の前史であり、おもしろい。『バブル』では、「これほど刺激的かつ奇妙なスクープの経験は、長い記者人生で最初にして最後だった。バブル前夜、そして金融自由化前夜の1983年7月5日付新聞朝刊である」という書き出しです。

 レーガン大統領の訪日直前にぶつける予定で、経済部の堀川健次郎氏(当時はキャップ)にも上げていた。モルガン銀行のプレストン会長が野村証券の村田宗忠会長と竹下登蔵相に会いに行ったりで、もう他社に漏れてしまうと記事を入れました。

 最終的に記事の確認をしたのは当時経済部の鷹栖丈治記者と私でした。 彼が竹下のところに行き、私が野村の田淵節也さんのところに書きますよと伝えにいきました。田淵さんからは「(銀行局長の)宮本がしゃべったと書いとけ」と怒鳴られてしまいましたが。

 この節では野村サイドの主役は国際派の相田雪雄さんになっています。影の主役は田淵さんでした。

 田淵さんが日経新聞に連載した「私の履歴書」があります。履歴書は作家などの場合を除いて記者がインタビューして記事にしており、末村さんが書いているのですが、野村モルガンの回だけは私が書きました。それで、野村證券の古賀信行前会長は「あの『わたしの履歴書』には野村の正史にはない章がある」なんて言うのです。それくらい、当事者の野村證券にとってもタッチーな出来事だったのです。

――21の小節ごとに次々と聞きたいところで、尽きないですね。ひとりでお書きになった単行本は実は初めてだそうですね。次もあるのでしょうね。

 単行本というメディアには独特のものがあります。結局、自分がすべてでてしまうように思いました。著者としてはひとりなのですが、編集者ふたりには助けられました。証券部時代からの後輩で、日経BP時代にも共に働いた藤田俊一さんには編集者の目で出版前の第一読者になってもらい、アドバイスをもらいました。

 出版元の新潮社の内山淳介さんは、彼がフォーサイトのころからの長い付き合いですが、30歳代でバブルを体感していない世代で、そのころを知らない世代としてとてもよいサポートをもらいました。彼らがいなければ、この本はできていません。あと2冊出したい気持ちがあります。執筆は始めています。

――『バブル』にはいろんな反響があったのでしょうね。

 それこそ、縁が薄かった中学校の同窓会の総会で講演を頼まれたり、意外と若い人にも読まれているようで、それはうれしいですね。最近では山一證券のOBが集まってくださり、第二章3、で書いた「『三菱重工CB事件』と山一證券の死」を巡って、いろんな議論をさせていただきました。上の世代の人も、同世代もいて、30年もたつと皆いろいろしゃべってくれます。

 あの小節では自殺する成田芳穂副社長が主役のひとりですが、いままでになかった成田像を描かせていただいた。私にとって思いの深い箇所でもあるのです。CB事件では、書かなかった旭化成CB事件というのもあります。

 いま話題の前川前文科次官の「実家」である前川製作所も、中曽根首相の最大のパトロンとして、名前の上がった事件でした。バブル経済史はいまにつながっているのですよ。

■永野健二(ながの・けんじ) 1949年生まれ。京都大学経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。証券部の記者、編集委員として、バブル経済やバブル期の様々な経済事件を取材する。その後、日経ビジネス、日経MJの各編集長、大阪本社代表、名古屋支社代表、BSジャパン社長などを歴任。共著に『会社は誰のものか』『株は死んだか』『宴の悪魔――証券スキャンダルの深層』『官僚――軋む巨大権力』(すべて日本経済新聞社)などがある。

■聞き手 土屋直也(つちや・なおや) ニュースソクラ編集長
日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設

最終更新:7/21(金) 12:06
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