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開業26年 都営地下鉄の「苦労人」大江戸線、ついに黒字化?

7/22(土) 14:10配信

乗りものニュース

総工費1兆3500億円の「英断」

 東京の地下を「6」の字に走る都営地下鉄大江戸線。2017年で開業から26年目を迎えますが、経営状況の大幅な改善により黒字化が視野に入りつつあります。

【写真】横浜中華街の前を走る都営大江戸線

 大江戸線は新宿の都庁前駅を起点とし、飯田橋、両国、大門、六本木を経由して都庁前に戻り、そのままさらに北西の東中野、練馬を経由して光が丘駅(東京都練馬区)へ至ります。建設路線延長(実キロ)は43.58kmで、単一の地下鉄路線としては日本でもっとも長い路線です。

 建設費用も膨大で、光が丘~新宿間の放射部は約3991億円、新宿~都庁前間の環状部は約9583億円、あわせて約1兆3574億円に上りました。1kmあたりの建設費は312億円です。浅草線は1kmあたり46億円、三田線は91億円、新宿線は235億円でした。大江戸線の建設費用の高さが数字に表れました。

 大江戸線は建設コストを下げるために小さなトンネル、小さな車両、鉄輪式リニアモーター駆動を採用しました。しかしそれでも多くの費用がかかっています。もし、他の路線と同じような規格で設計していれば、もっと高額な費用がかかり、おそらく建設できなかったでしょう。

 実際に大江戸線に乗ってみると、日中でも乗降客は多く、利用者の多さがうかがえます。

 東京都が公開している「平成27年度 地下鉄路線別収支状況」によると、大江戸線の乗車人員は1日平均で91万4012人。これは都営地下鉄4路線の中でもっとも大きな数字です。路線ごとの収入も大江戸線がトップで約557億842万9000円。ただし、支出もトップで約569億8104万5000円です。路線延長が長いため数字も大きくなりますが、多くの人々が利用しています。赤字とはいえ造って良かった路線といえます。巨額の建設計画を決めた人々の英断と言うべきでしょう。

大江戸線誕生の理由 なぜ「6の字」に?

 大江戸線計画のルーツは、1968(昭和43)年に運輸大臣(当時)の諮問機関が提出した「都市交通審議会答申第10号」にありました。東京周辺の高速鉄道整備のため、既存路線を含めた路線計画です。このなかで、「12号線」として「新宿~春日町~上野~深川~月島~麻布」のルートが示されました。その4年後に示された「都市交通審議会答申第15号」で、麻布から先の六本木~青山~新宿~練馬~高松町(現・光が丘)~大泉方面が示されました。これが大江戸線の原型、6の字路線です。

 計画路線が延長された背景として、空前の高度経済成長が挙げられます。東京に産業が集中し人口も急増したため、高速鉄道網で輸送力を増強する必要がありました。また、オフィス街を分散させるため、東京都は1958(昭和33)年に副都心として新宿、渋谷、池袋を指定しました。12号線は新宿副都心を核とした、郊外方向、都心方向のアクセス整備の役割もありました。しかしこの計画はオイルショックにより一時凍結されます。

 次の大きな動きは、練馬区光が丘の再開発計画がきっかけです。この地域には米空軍の家族宿舎「グラントハイツ」がありましたが、1971(昭和46)年に全面返還が決定。敷地の半分を公園として、残り半分を団地など住宅として整備すると決まりました。その進捗(しんちょく)にともなって公共交通機関の必要性が高まり、東京都は1982(昭和57)年に10か年の東京都長期計画を策定。重要施策として12号線放射部の整備を掲げます。

 ただし、バブル景気が始まる前でもあり、オイルショック不況の経験から、コスト削減の検討を重ねました。他社線と相互直通をしないため、独自規格の採用も可能です。そこで、トンネルや車両の小型化、全駅で島式ホームを採用するなど諸施設の小規模化を図ります。トンネル断面積は新宿線の約半分になり、車両の長さは16.5m、最大8両編成としました。こうして、放射部は1986(昭和61)年に着工。1991(平成3)年に練馬~光が丘間が、1997(平成9)年に新宿~練馬間がそれぞれ開業しています。

 環状部は放射部より規模が大きく、建設費も膨大なため保留されました。しかし、1979(昭和54)年ごろから東京都庁の新宿移転が議論されはじめ、首都・東京の国際競争力を高めるためにも必要という判断から、1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申第7号で「首都機能の分散、放射状路線の連絡に資するため環状線の建設が必要」と示されました。これを受けて12号線放射部の建設が決定。1992(平成4)年に着工されました。ちなみに新宿の東京都庁新庁舎は1988(昭和63)年に着工、1991(平成3)年に完成しています。

 12号線の環状部は当初、1997(平成9)年3月に全線が開業する予定でした。しかし、都心部の工事とあって、騒音、振動、道路交通規制の苦情が多数あり、1000件を超える補償問題、夜間作業時間の短さ、41か所にわたるほかの鉄道との交差、河川交差に対する防護工事などから作業が遅れました。その結果、約3年遅れて2000(平成12)年4月に新宿~国立競技場間が開業。全線開業は同年12月12日でした。この日付は12号線にちなんだといわれています。

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