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平尾昌晃さん死去、79歳 「瀬戸の花嫁」など名曲遺し

7/23(日) 5:59配信

デイリースポーツ

 「日劇ウエスタンカーニバル」で歌手として一世を風靡(ふうび)し、作曲家としても「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など多くのヒット曲を手掛けた平尾昌晃さんが21日午後11時40分、肺炎のため都内の病院で死去したことが22日、分かった。79歳だった。東京都出身。若いころに結核で片肺を摘出したため日ごろから体調に気を配っていたが、2014年暮れから肺炎の症状が出るようになっていた。葬儀・告別式は家族葬で行い、秋にお別れの会を開く。

【写真】2013年、藤圭子さんをしのぶ平尾昌晃さん

 歌手、そして作曲家として、長年人々の心に歌で明かりをともし続けた平尾さんが、突然、天国へと旅立った。

 関係者によると、平尾さんは今月13日、肺炎による体調不良を訴え、主治医のいる都内の病院で診察を受けた。レントゲンや血液検査では病状は軽かったが、大事をとって入院した。その後も回復しないため、入院が続いていた。

 スタッフらと普通に会話するなど、深刻な状態ではなかった。だが21日の午後11時ごろに容体が急変。「苦しい」などと話しているうちに、同11時40分。家族、関係者に見守られながら息を引き取った。「あまりにも突然だった」(関係者)という。

 平尾さんは1968年に結核を罹(り)患し、片方の肺を摘出していた。そのため、日ごろから健康には注意していた。14年暮れには肺炎で入院。これ以後、酸素吸入器を携帯するようになった。

 年齢による免疫力の低下などで、時々肺炎にかかることもあったが、日々普通に活動していた。体調面を考え、ステージの仕事はセーブしていたが、自宅で作曲活動なども行っていた。合間には趣味の競馬、オートレースなどを楽しんでいたという。

 今年の5月31日には都内のライブハウスで、自身がプロデュースしたライブに顔を見せた。ステージには立たなかったが、客席でマイクを持ちロックンロールを歌った。これが最後の公の場。最後のテレビ番組は5月1日放送のBS日テレ「歌謡プレミアム」。また、4月19日発売の歌手・永井みゆきの「蛇の目小紋の女」が最後のリリースとなった。

 平尾さんは1958年「リトル・ダーリン」で歌手デビュー。第1回「日劇ウエスタンカーニバル」に参加し、ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんとともに「ロカビリー3人男」として人気が爆発。“和製プレスリー”と呼ばれた。60年代半ばからは作曲家として活躍。「霧の摩周湖」、「瀬戸の花嫁」、「よこはま・たそがれ」など多くのヒット曲を世に送り出した。78年に畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」はロングヒットとなった。NHK紅白歌合戦の「蛍の光」の指揮者としてもおなじみだった。