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日本歌謡界の父・平尾昌晃さん、79歳で亡くなる…家族葬後に音楽葬も

7/23(日) 5:33配信

スポーツ報知

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。「日劇ウエスタンカーニバル」の人気シンガーとして活躍後、作曲にも才能を発揮。布施明(69)の「霧の摩周湖」や五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子(65)の「瀬戸の花嫁」などヒット曲を書き下ろした一方で、歌い手としても畑中葉子(58)とのデュエット「カナダからの手紙」を大ヒットさせた。後進の育成にも意欲的だった日本の歌謡界のヒットメーカーが、天国へ旅立った。

【写真】在りし日の平尾昌晃さん

 音楽を愛し、愛された日本歌謡界の父が、この世を去った。関係者によると、平尾さんはかねて肺をわずらっていたが、5月に体調を崩し1か月ほど入院。一時は回復したものの、7月中旬に症状が悪化したことから再度入院し療養していたが、数日前に容体が急変した。

 5月31日に自身のプロデュースライブで、教え子のステージを客席から見守ったのが、最後の公の場となった。葬儀は家族葬で営む予定といい、秋頃に音楽葬を計画しているという。

 昭和の音楽の歴史を体現するような大スターだった。慶応高在学中に湘南の米軍キャンプにボーカルとして出演し、歌手人生をスタート。ジャズ、カントリー、ロックと多ジャンルに精通した。銀座のジャズ喫茶「テネシー」で歌っているところを渡邊美佐さん(現渡辺プロダクショングループ代表)に見初められ、1958年に「リトル・ダーリン」でデビューした。

 その1か月後からスタートした「日劇ウエスタンカーニバル」では一気にトップシンガーに。「ミヨチャン」などのヒットを飛ばし、ミッキー・カーチス(79)、山下敬二郎さん(11年死去、享年71)と「ロカビリー3人男」と呼ばれ、圧倒的な人気を博した。

 肺結核をわずらい、医師に歌手業を止められたことから作曲にも才能を発揮。66年に布施に書き下ろした「霧の摩周湖」が大ヒットした。71年、五木に提供した「よこはま・たそがれ」、小柳に提供した「わたしの城下町」で作曲家としての地位を不動のものとした。73年、五木に提供した「夜空」では、その年のレコード大賞を受賞している。「必殺」シリーズなどの時代劇、アニメ「銀河鉄道999」、宝塚ミュージカル「ベルサイユのばら」など、劇伴(劇中の伴奏音楽)の分野でも活躍した。

 日本の音楽界を担う、後進の育成にも早くから取り組んだ。74年には「平尾昌晃 ミュージックスクール」を開校し、同校の生徒だった畑中と組んで「カナダからの手紙」をリリース。2人の優しい声質とハーモニーが話題となり、紅白歌合戦にも出場した。結核で大手術を経験したことから、チャリティー活動にも精を出した。75年から始めた「平尾昌晃チャリティゴルフ」は、現在ではプロ、アマ、タレントが集結する恒例行事となっている。

 歌謡界の大御所でありながら腰が低く、いつも笑顔を絶やさないおだやかな人柄で誰からも愛された。巨人やオートレースのファンとしても知られ、紅白歌合戦では、クライマックスに出演者全員で歌う「蛍の光」の指揮を2006年から昨年まで務めていた。歌の力を信じ、生涯現役として輝きを放ったスターが、その名の通り星となった。

 ◆平尾 昌晃(ひらお・まさあき)本名同じ。1937年12月24日、東京府東京市牛込(現・新宿区)生まれ。慶応高1年時に米軍キャンプで歌手活動をスタートし、58年に「リトル・ダーリン」でソロデビュー。ロカビリー歌手として爆発的な人気を博す。作曲家に転身後、ヒットを連発するが、結核を患い68年に肋骨(ろっこつ)6本を除去する。03年に紫綬褒章受章。日本作曲家協会常務理事を務めている。歌手の平尾勇気は息子。

最終更新:7/23(日) 7:47
スポーツ報知