ここから本文です

もう聞けない「面白いだろ!」の決まり文句…担当記者が平尾昌晃さん悼む

7/23(日) 10:03配信

スポーツ報知

 歌手で作曲家の平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺気腫のため都内の病院で死去した。79歳だった。

【写真】2012年1月、本紙のインタビューに応じ、笑顔でギターを手に歌謡曲を口ずさむ平尾昌晃さん

 平尾先生に最後にお会いしたのは5月31日に渋谷で行われた「アフタヌーンライブ」だった。田辺靖雄・九重佑三子夫妻、弟子のHANDSIGN、永井みゆきらが出演したイベントで、先生がプロデュースしていた。酸素吸入しながらもステージの真正面に陣取ってマイクパフォーマンスで会場を盛り上げ、「ダイアナ」を歌うシーンもあった。

 ウエスタンカーニバルでスターとなり、作曲家としては布施明や小柳ルミ子、五木ひろし、中条きよしにアグネス・チャンらをプロデュース。昭和歌謡の偉人ながら敷居の高さを感じさせない。事務所に訪ねていくと「この梨おいしいよ、食べて食べて」「甘いものは大丈夫でしょ、これおいしいから」と言っては一緒にほおばる。音楽以外の話も豊富だ。少年のころから筋金入りの巨人ファンで後楽園球場時代からシーズン席を持つほど。原辰徳前監督と親交が深く「辰徳君は僕が球場に行くと、いつも彼の隣の駐車スペースを確保してくれるんだ」と秘話を紹介しては場を盛り上げていた。

 とにかくサービス精神が旺盛なのだ。周囲に喜んでもらうことを常に考えている。そのベースになっているのは感謝の心だ。平尾先生と話をすると決まって出てくるフレーズがあった。「僕の人生は人との出会いなんですよ。それが全て」と…。ウエスタンブームが下火になり人気に陰りが出た時、俳優座に参加して俳優を目指したが芽が出なかった。「絶頂期を体験しているからこそ、誰にも見向きもされなかった時期は本当につらかった」という。

 不遇時代に布施明と出会い作曲家への道が開けたが好事魔多し。今度は肺結核を患った。主治医や看護師の尽力で命を取り留めたことで「みんなに助けられて今がある」と心に植え付けられた。これは後の作家活動や平尾先生が設立した認定NPO法人「ラブ&ハーモニー基金」につながっている。スターでありながら人なつっこい。それは実家が戦前からの大手化粧品会社で、慶応(高)ボーイという影響もあるだろうが、数々の挫折が平尾昌晃を作り上げたと思う。

 「面白いだろ!」―。ひとしきり話をして最後に念を押す決まり文句…。先生のトークがもっと聞きたいです。

最終更新:7/24(月) 11:22
スポーツ報知