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古代の国道、SAを掘り下げ 特別展と講座

7/23(日) 8:00配信

両丹日日新聞

朝来市埋蔵文化財センターで

 橋や道路は今も昔も社会を支える大切な基盤。「道」をキーワードにして地域の歴史をひもとく特別展「A・SA・GOのカントリーロード~ひとの道・モノの道」を、朝来市の埋蔵文化財センター「古代あさご館」(朝来市山東町大月)が開いている。これと併せてシリーズ講座も開催し、深く掘り下げていく。

 朝来市内の生野銀山と各地を結ぶ銀の馬車道・鉱石の道が日本遺産に登録された記念の企画。特別展では、発掘調査で分かった古代の道や、「日本初の高規格産業道路」とされる銀の馬車道、近代の鉄路などを通じ、道が国や地域の発展にどのような影響を与えてきたかを紹介する。

 古代の道としては山陰道などの七道が挙げられる。飛鳥時代から平安時代(7世紀後半~10世紀)の律令制下で中央集権国家体制が構築され、五畿七道と呼ばれる地方制度も確立。中央と地方を結ぶ官道=国道を通って人や物資が大きく動き出した。

 官道には一定距離ごとに「駅家」が設けられた。中央と地方の連絡役の役人、駅使が馬を乗り継いだり、宿泊をしたりした施設で、現代のサービスエリア(SA)や道の駅のようなもの。山陰道にもたくさん配置されていたことが記録されているものの、その多くは、現在のどの位置にあったかが分かっていない。そんな中で、但馬で唯一、場所が確定しているのが、朝来市山東町柴。ここに「粟鹿駅家」があったとされる。

 粟鹿も、どこにあるのか分からずにいたが、北近畿豊岡自動車道の建設工事に伴う1997年の発掘調査で、駅子(駅家の職員)が、納めるべき稲10束の代わりに稲モミ1尺(1石)を納付したことを記した荷札木簡が出土。このあたりが駅家、あるいは駅家に付随する重要な官庁だったことが明らかになった。

 場所は丹波と但馬の国境、遠阪峠の西麓。掘立柱建物8棟、柵列1基、井戸1基、溝4条が確認でき、墨書土器や磁器、木製祭祀具も出土した。

 特別展では、この木簡をはじめ様々な資料を展示して古代の交通事情を紹介する。特別展会場のみ入館料100円(小学生以下と65歳以上無料)。10月9日まで。

 解説を加えるシリーズ講座は4回計画。前半2回は23日に大阪大学准教授の市大樹さんが「日本古代の都鄙間交通と但馬国」、30日に花園大学専任講師の竹内亮さんが「地方文化拠点としての古代駅家」をテーマに講演。

 後半は8月20日に壱岐市立一支国博物館の松見裕二さんが「朝来から壱岐へ~流人・小山弥兵衛が生きたふたつの故郷」、同月27日に兵庫県教育委員会主幹の柏原正民さんが「馬車の道・鉄の道~2つの道が運んだもの」と題して話す。いずれも午後1時30分から。無料。

 会場の古代あさご館は北近畿豊岡自動車道の山東サービスエリア(道の駅但馬のまほろば)にある。電話079(670)7330。

両丹日日新聞社

最終更新:7/23(日) 8:00
両丹日日新聞