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期待以上のことを成し遂げた男、ロディックが国際テニス名誉の殿堂に

7/23(日) 12:00配信

THE TENNIS DAILY

 より多くの人々が、彼が勝った試合以上に、敗れたグランドスラム決勝について質問したがっている。

ロディック、クライシュテルスらが国際テニスの殿堂入りへ

 そう、2009年ウィンブルドン決勝での、ロジャー・フェデラー(スイス)に対する第5セット14-16の敗北は、2003年全米オープン決勝におけるアンディ・ロディック(アメリカ)のストレート勝ちよりも、会話に火花を散らすようなのだ。その2003年全米は、今のところ、アメリカ人男子プレーヤーがグランドスラム大会で優勝した最後の機会となっているというのに。

「よかれ悪しかれ、2009年ウィンブルドン決勝のようなんだ、人々が話題にしたいとしている試合はね。僕がコーヒー・ショップに行ったとき、人々はその試合について話したがる。人々は、そのとき彼らがどこにいて、どこでその試合を観ていたかを言おうとするんだ」

 ロディックは、ポートランドにて国際名誉の殿堂の一員となる前日――金曜の電話インタビューの際に、こう言った。

「僕にとって、誇らしい瞬間だ。最大の舞台に出て行き――最終的に勝つことはできなかったとはいえ、4時間半に渡ってあのときやってのけた以上にうまくプレーしたり、ゲームプランを実行に移したりできるか、分からないくらいだ」と彼は言った。「あれは間違いなく、もっとも(他の人が話しているのを)耳にし、それについてもっとも話し、もっとも考えた試合だったよ」。

 土曜日、ロディックはもうひとりの元世界1位で、4度に渡りグランドスラム大会を制したキム・クライシュテルス(ベルギー)とともに、2017年度名誉の殿堂入りメンバーとして、迎え入れられることになる。また今年は、車椅子テニスで4度パラリンピックのメダルを受賞したモニーク・カルクマン ファンデン ボッシュ(オランダ)、ジャーナリストで歴史研究家のスティーブ・フリンク、テニス・インストラクターの故ビック・ブレーデン(アメリカ)も殿堂入りすることになる。

 金曜日、家族や友人と殿堂を訪問し、見て回る機会を得たロディックとクライシュテルスは、訪問ツアーで感動を禁じえなかったと言った。

「そこを歩き、シュテフィ・グラフ(ドイツ)、モニカ・セレス(アメリカ)、アランチャ・サンチェス ビカリオ(スペイン)ら、私が小さな子供だったときからの、我々のスポーツの歴史を目にし、そしてその数メートル先に、私の写真と私のトロフィがあるのを見た――すごく特別な感慨を覚えたわ」とクライシュテルスは言った。「でも同時に、(自分がそこに入るのだという事実を)理解し、実感するのがすごく難しくもある」。

 双方の選手が、彼らの最後のシングルス・マッチを2012年全米オープンで戦った。全米は、彼らのキャリアにとって重要な場所なのだ。

 クライシュテルスは2005年、09年、10年にニューヨークでタイトルを獲得した。2009年には、娘のジェイダがアーサー・アッシュ・スタジアムのトロフィの周りを飛び跳ねていたものだ。彼女はまた、2011年に全豪オープンでも優勝した。

 ロディックは、フラッシングメドウで自身唯一のグランドスラム・タイトルを獲得したことに加え、2006年には準優勝している――そう、このときも決勝で、フェデラーに敗れて。ロディックの、2004年、05年、09年のウィンブルドンにおける3度の準優勝は、すべて決勝でフェデラーに負けた末のものだった。

「自分をロジャーと比べるのはよそうと決めたとき、安らかな気持ちになったよ」と、ロディックはクスクス笑いながら言った。

 ロディックの成功のカギは、彼の強烈なサーブ――彼は一度、時速250キロというサーブの最速記録を保持していたことがある――と、パワフルなフォアハンドだった。しかし彼は、フィットネス全般やバックハンド、ボレーなど、自分のテニスの他の部分を向上させるための努力も惜しまなかった。

「素晴らしいファイターだ。常に、自分から最大のものを引き出してくる」と、レイトン・ヒューイット(オーストラリア)は言った。2度グランドスラム大会で優勝しているヒューイットは、ロディックと同じ時期にプレーしていたことがあるトッププレーヤーだ。「彼はコートに出ていく度に、そこで持てるすべてを出し切っていた。彼はまた、可能な限りしっかり準備を整えるようにするための、ハードワークも積んでいたようだ」。

 ロディックは、なぜ彼の世代は、90年代のアンドレ・アガシ(アメリカ)やピート・サンプラス(アメリカ)、あるいはそれ以前のジョン・マッケンロー(アメリカ)やジミー・コナーズ(アメリカ)のような、前世代のアメリカ人男子プレーヤーほど成功を収められないのか、という問いに対処することに、そのキャリアの大半を費やした。

 今、そのような状況で名前を引き合いに出されるのはロディック自身だ。今月、サム・クエリー(アメリカ)がウィンブルドンの準決勝に進出したとき、グランドスラム大会でアメリカ人男子がここまで勝ち上がったのは、2009年に決勝でロディックが非常な接戦の末にフェデラーに敗れて以来のことだ、という特記があった。

 上記の伝説のバトルのあと、センターコートの観客たちは、ロディックの名を大声で謡った。それは勝たなかった者に対するものとしては常軌を逸した、敬意の表示だった。

「あれは間違いなく、のちのちまで彼に付きまとう試合だろう」と、かつてデビスカップ監督としてロディックと苦楽をともにした、パトリック・マッケンロー(アメリカ)は言った。「彼は本当に、もう少しというところまで迫っていた。あれは、キャリアを通して彼がプレーした中で最高の試合だった、と言えるかもしれない」。

 ロディックは、2007年のデビスカップ優勝への貢献により、優勝から見放されていたアメリカが、12年間の『干ばつの時期』を終わらせることを助けたのだった。

「彼は、持って生まれた能力から、最大限のもの引き出すタイプの男なんだ」と、マッケンローは続けた。「彼は、期待以上の成果をあげた、とさえ言えるだろう。彼はサーブの名手で、史上もっとも素晴らしいサーバーの一角だ。でも、彼は素晴らしいテニス・プレーヤーではなかった。そして、彼自身がそのことを自覚していると思う。彼は、ただ打てば素晴らしいショットを打てるといった類の、天賦の才能に恵まれた選手ではなかった。彼は本当に力を振り絞って、ハードワークを積まなければならなかったんだ。それゆえに、彼は世界1位になり、グランドスラム・タイトルを勝ち獲ることによって、期待以上のことを成し遂げた、と僕は思うんだよ」(C)AP (テニスマガジン/テニスデイリー)

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最終更新:7/23(日) 18:16
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