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明治期のスカイツリー、浅草「凌雲閣」 経営危機を救ったアイドル総選挙

7/25(火) 18:10配信

THE PAGE

 明治時代、東京のにぎわいの中心だった浅草は、近代建築に当時最先端の技術をいち早く取り入れたエリアでもありました。なかでも当時珍しかった地上52メートルの展望塔「凌雲閣」はたいへん注目されていました。日本一や日本初などうたい文句は魅力的で、ついつい行列を作ってしまうのは今も昔も変わりません。
 
 しかし、もの珍しさで集客が期待できるのは最初だけ。安定した娯楽施設運営には、やはり何度でも足を運んでくれるいわば、リピーター確保が必須となります。そこで考えた策とは? 当時の彩色絵葉書などから、当時の庶民のレジャーと興味を大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。  

【連載】古写真で知る幕末・明治の日本

「近代化の象徴」としての凌雲閣

 明治のスカイツリーか、いや、スカイツリーが平成の凌雲閣か――。

 1890(明治23)年11月、東京浅草に開業した凌雲閣は、浅草十二階とも呼ばれ、当時日本で最も高い建築物だった。その高さ、52メートル。東京タワーの333メートル、ましてやスカイツリーの634メートルと比べると、少しばかりガッカリするかも知れない。しかし、江戸時代が終わってわずか20年少々で、これほどの近代的建築物が現れたことは、驚愕に値する。

 ここに掲載した彩色絵葉書は、凌雲閣の明治30年代後半の姿がコロタイプ印刷という手法で刷られたものである。日本において私製絵葉書の使用が認められたのは、1900(明治33)年なので、比較的初期の絵葉書ということになる。彩色写真に比べるとずっと安価だった彩色絵葉書だが、やはり購買者の多くは欧米諸国からの旅行客だった。この絵葉書に「ASAKUSA PARK TOKYO」とアルファベット表記があるのも、そのためである。

 元浮世絵師などが彩色した彩色写真に対して、彩色絵葉書は主婦などが内職で手塗りすることが多かった。そのために塗りが拙いものもあるが、それも含め、一枚ずつに個性があって面白い。

 凌雲閣の写真が刷られた彩色絵葉書は、現在も多種が残っている。そのことから考えて、大変人気の高いモチーフだったことは間違いない。外国人からすれば凌雲閣とはまさに、日本の急激な「近代化の象徴」だったのだろう。

 凌雲閣は完成した当初、「日本のエッフェル塔」とも呼ばれた。エッフェル塔は凌雲閣の前年、1889(明治22)年に竣工している。あちらの高さは312mなので、高さ勝負ならば凌雲閣は足元にも及ばない。しかし、一点共通する特長があった。それは、エレベーターが設置されていたことである。

 日本初のエレベーターは、凌雲閣に設置されたものだった。このエレベーターは、15~20人乗りで、約1分間かけて1階から8階まで到達するものである。開業当初の凌雲閣にとって、看板の一つだった。それもあって、入場料が「大人8銭、子ども4銭」と、決して安くなかった。この当時の1銭は、現在の200円程度の価値なので、今の感覚では「大人1600円、子ども800円」といったところだろう。

 しかしこのエレベーター、なんと開業半年ほどで撤去されてしまうのである。安全上問題がある、との通告を受けてのものだった。日本の近代化は様々な困難の中で遂行されたが、「近代化の象徴」である凌雲閣も、決して順風満帆だったわけではない。

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最終更新:7/31(月) 6:08
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