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ロディック、クライシュテルスらが国際テニスの殿堂入り

7/24(月) 12:00配信

THE TENNIS DAILY

 国際テニスの殿堂のホールを見回し、アンディ・ロディック(アメリカ)は、自分がなれなかったすべてのものを考えた。

期待以上のことを成し遂げた男、ロディックが名誉の殿堂に

 彼は、歴史的偉人たちほど優秀ではない。特に、ジョン・マッケンロー、ピート・サンプラス、アンドレ・アガシら、彼以前にこのニューポートの神殿に入った他のアメリカの偉人たちのように、輝かしくはなかったのだ。また彼がグランドスラムで1タイトル以上を獲ることを阻んだ現代のビッグ4――ロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、アンディ・マレー(イギリス)らほど、有能でもなかった。

「僕は、古今を通じてもっとも優秀な選手などではない。ウィンブルドンでも優勝せず、僕の世代でベストの選手でもない。僕は振る舞いがもっとも模範的な選手でもなければ、もっとも洗練されてもいない」

 ロディックは、ときに面白おかしく、ときに心に訴えかけるスピーチの中で、こう言った。

「僕はまた、決してこの栄誉を当然のこととはみなさない」と彼は言った。「『僕は――ではない』と言えるものはたくさんあるかもしれないが、本日から先、僕は名誉の殿堂入りした人間にほかならないのだ」。

 パワフルなサーブと、ときに鋭い機知でも知られたロディックは、キム・クライシュテルス(ベルギー)、パラリンピックで6つのメダルを獲った車椅子テニスのモニーク・カルクマン ファンデン ボッシュ(オランダ)、ジャーナリストで歴史研究家のスティーブ・フリンクとともに、名誉の殿堂の一員となった。テニス・インストラクターで革新者のビック・ブレーデン(アメリカ)は、死後の殿堂入りとなった。

 クライシュテルスは、引退して娘を生んだあとに復帰し、ランキングなしのワイルドカード(主催者推薦枠)での出場ながら優勝した2009年全米オープンを含め、グランドスラム大会で4度優勝し、WTAと合わせて31のタイトルを獲得した。

 フリンクの殿堂入りのプレゼンテーターを務めたのは、自身が名誉の殿堂メンバーである元名選手、クリス・エバート(アメリカ)だった。エバートは、フリンクとの友情を、彼のキャリアを通して培ったのだとコメント。フリンクのキャリアは、彼がやはり殿堂入りしたテニス・ライター、バド・コリンズ(アメリカ)のためにリサーチの仕事をしていたときに始まった。彼はその後、本を書き、雑誌に原稿を掲載し、またラジオやテレビでコメンテーターを務めるなどして、キャリアを発展させていった。

 エバートは、フリンクがはるか昔の試合をいかによく覚えているか、記者会見で彼女が自分の記録の詳細を間違えたときなどに、どんなふうに彼が遮って正したか、などについて話した。

「スティーブ・フリンクは今日、その生涯を通しテニスに身を捧げたことを認められ、名誉の殿堂に入ります」と彼女は言った。

 カルクマン ファンデン ボッシュは14歳のときにガンと戦い、二度とテニスをプレーできないのではないか、と恐れていたことについて話した。彼女が変わらずテニスに関わっていると感じられるよう、友人たちが車椅子に座った彼女をコートの上で押して回ったエピソードなども。

「私の人生にテニスがあったことは、すごく幸運なことです」と彼女は言った。「私にとって、魔法のような日々でした」。

 ロディックは、数人のコーチと自分の父親、妻でモデルのブルックリン・デッカーにお礼を言った。デッカーは、モデル仲間のクリシー・ティージェン、彼女の夫で歌手のジョン・レジェンドとともに、観客席から見守っていた。彼はまた、他の殿堂入りメンバーたちに祝辞を述べ、クライシュテルスのことを人間として称える者たちに同調した。

「シンプルな表現法がある」と彼は言った。「もし貴方がキム・クライシュテルスと問題を抱えているなら、僕は貴方の方を責めるだろう」。

 ロディックはまた、8歳のときに全米オープンのプレーヤーズ・ラウンジに忍び込み、恐れ多くて話はできなかったものの、サンプラスと一緒にビデオゲームをプレーしたことについても話した。その11年後、ふたりは同じデビスカップ・チームの仲間になっていた。

 彼はまた、自分は「もし――だったら」という推測ゲームはしないことにしており、ビッグ4と自分の時代が重なっていなかったら、自分がどんなふうになっていたか、などと訝ったりはしないと言った。

 グランドスラム決勝で4度フェデラーに敗れているロディックは、「それでも僕は、自分を幸運だとみなしている」と言った。彼は天才的な選手たちと交戦しながら送ったキャリアを、「僕はマイケル・ジョーダンをガードしなければならなかった。僕はモハメド・アリと最終ラウンドまで戦った。僕はベーブ・ルースにボールを投げた。僕は自分が、ピカソを見るのはどんなふうだか分かっているように感じている。僕はすべてを見た」と表現した。

「僕は、何度か勝った。すごく多く勝ったわけではないが、いくつかの試合は獲った」とロディックは言った。「ビッグ4の男たちは、対戦したときにはほぼいつも、僕を怒らせた。でも僕は、ああも高い質を持つ選手たちと袖を交えながらキャリアと人生を送れたことを、絶対的に誇りに思っている」。

 彼はまた、セレモニーの前の記者会見で、土曜の朝に目覚めたときに一番最初に受け取ったテキスト・メッセージは、フェデラーからのものだった、と明かした。

「ロジャーは、人間としての彼を好きにならないようにすることを、ものすごく難しくしてくるんだよ!」とロディックは言う。

 金曜日、殿堂の新メンバーたちは、ミュージアム訪問のツアーに参加し、そこで、自分たちのヒーローたちと並び、自分の輝いた瞬間をも目にすることになった。ロディックは特に、アーサー・アッシュ(アメリカ)が1975年ウィンブルドンで優勝していたときに使っていたラケットや、ロッド・レーバー(オーストラリア)がフォレスト・ヒルズで使っていたラケットを目にできたことを喜んだ。

「子供の頃の思いが頭の中にフラッシュバックするような感じなの。とても謙虚な気持ちにさせられるわ。私はただ、そのすべてを自分の中に取り入れようと努めている」とクライシュテルスは言った。

 トラックや車の刺繍の入った白いボタンダウンのシャツを着たロディックはまた、殿堂の新しいメンバーとして、今、自分が未来の選出候補者に投票することになるのだということを指摘。それから、この新しいパワーを利用し、フェデラーに自分をさんざん倒した仕返しをしてやろうか、とジョークを飛ばした。

「僕は、彼に投票しないかもしれないよ」と、ロディックは笑みを浮かべて言った。(C)AP (テニスマガジン/テニスデイリー)

Photo:NEWPORT, RI - JULY 22: Tennis Hall of Fame inductees Monique Kalkman van den Bosch of the Netherlands, Kim Clijsters of Belgium, journalist Steve Flink of the United States and Andy Roddick of the United States pose for a photo following the induction ceremony on July 22, 2017 in Newport, Rhode Island. (Photo by Adam Glanzman/Getty Images for the International Tennis Hall of Fame)

最終更新:7/24(月) 12:00
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