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「母とアスリート -竹澤静江と海音-」

7/25(火) 9:45配信

カンパラプレス

 息子の海音(かいと)に知的障害があるとわかった日から、竹澤静江さんの戦いは始まった。社会を変えようと奔走し、ときには涙しながらも、豪快に前進する。海音は、知的障害者サッカーの日本代表候補に選ばれるまで登りつめた。静江さんの力の源は、息子と知的障害サッカーの選手たちである。

医療より、愛と絆。

 海音が2歳のときに、もしかしたら何か障害があるのかなと思いました。例えば、「青色のクレヨンでぬり絵しよう」と言っても、茶色を選んだりする。徹底的に桃色が何かを教えても、翌日には忘れている。

 小学校1年生のときにIQテストを受けたら「知的障害」という診断でした。この時期にはほぼ確信してはいたけれども、ショックでしたね。あの日のことは本当に忘れられない。軽度から中度の知的障害があるでしょうということと、具体的に言えば、国語では最終的に小学校低学年レベルまでしかいけない。スポーツに関しては不器用さがどうしても伴うので、みんなと同じレベルでやるのは難しいだろうと。ガーンとなりましたね。

 ただ、私も医療関係に従事する人間なんですけど、医療の言葉だけにとらわれる必要はない。まだ何年かしか生きていない人間の、可能性を限定してしまうことのほうが不自然に感じる。障害があろうが、病気になろうが、母親や家族の愛情と、子どもとの絆が何より大事だと私は思っています。

横ではなく、前を見る。

 海音が行く小学校には、特別支援クラスがなかったんですね。そこで私は、支援クラスをつくっちゃいました。教育委員会にも掛け合って。空いている教室が2つあったので、仲間に声をかけて自分で掃除しました。そこで、「交流級」というアイデアを思いついたんです。

 体育、家庭科、音楽、給食の時間はみんなと一緒に受ける。そして、書く、読むという難しい勉強の授業は、ゆっくりと支援クラスで学ぶ。その中で、海音が高校生になるまでに小学校レベルの国語力を身につける、という目標を立てました。

 それくらいの能力があれば、生きていける。そうすると、私も気が楽になって、息子ができないことを悲しむ必要もなくなった。息子も、みんなと同じように国語ができないことで追いつめられることもない。横と比べるのではなくて、前を向いて自分たちなりの目標を設定することで楽になった。穏やかに息子と過ごせるようになりましたね。

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最終更新:7/25(火) 10:28
カンパラプレス