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知的障害者サッカー日本代表候補の竹澤「もう一度サッカーをやりたい」

7/25(火) 10:00配信

カンパラプレス

 サッカーを始めるきっかけになった試合をいまでもはっきりと覚えている。日産スタジアムで行なわれた横浜F・マリノスと浦和レッズによる2008シーズン開幕戦、家族に連れられこのとき初めてJリーグに足を運んだ9歳の少年は、トリコロールの守護神のセーブに心を奪われた。以来、動画サイトを訪ねてはGK(ゴールキーパー)のプレーを熱心に辿り、やがてアジアカップ2004ヨルダン戦のPK戦で活躍した川口能活に魅了された。GKに対する憧れはそうして育まれたのだった。

 元選手の父を持ち、3人の兄も皆サッカーをやっていたのだから、あとに続くのは必然だったかもしれない。竹澤海音は初めて観た試合からほどなくして地元・神奈川県内の少年団に入り、中学に上がってからは2つ年上の三男も通うクラブチームの門を叩いた。ポジションはもちろんGKである。

 トレーニングは厳しくも充実していた。学校が終わり、自転車で数十分かけてグラウンドに向かう。練習を終えて帰宅するのは毎晩10時半を回っていた。夏休みともなれば朝から晩まで毎日みっちりと汗を流した。

 しかし、中2の終わり頃のことだった。知的障害を理由にチームメイトからいじめに遭った。障害者は消えろ。このチームに障害者はいらない。彼らの暴言は容赦なく、シュート練習でゴールを守れば「止めるな」と唾を吐きかけられた。いじめは次第にエスカレートし、言葉の暴力だけでなくスパイクを隠されるなどの嫌がらせも受けた。

 サッカーをやりたいのに、まるで自分からいじめに遭いに行ってるみたいだ――

 親には練習に行ってくると嘘をつき、宛てもなく時間を潰した。休んでいることがばれても、またいじめられるんじゃないかという恐れが頭から離れず、戻る気にはなれなかった。中3に上がってからはほとんど行かなくなり、卒業セレモニーにさえ参加しなかった。障害者という言葉に傷つき、大好きだったサッカーも嫌になってしまった。

 高校は養護学校に進んだ。小中と、それまで通っていた公立学校とは異なる環境に戸惑いは否めなかった。クラスメイトには障害が重くコミュニケーションを取ることが難しい生徒も少なくない。

 だが重度の障害を持つ生徒と接するなかで、あらためて気付くことがある。
「みんな正直で優しい。誰も障害者になりたくてなっているわけではなく、僕はいじめに遭うつらさも知っている。みんなには不幸になってほしくないし、できるだけサポートしたい」

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最終更新:7/25(火) 10:00
カンパラプレス