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1940年予定「幻の東京五輪」記念酒杯出土 富山西武跡地

7/25(火) 0:31配信

北日本新聞

 富山市埋蔵文化財センターは24日、同市総曲輪の発掘調査で、1940(昭和15)年に開かれる予定だった「幻の東京五輪」=[ズーム]=の記念酒杯の破片13点が出土したと発表した。流通量が少なく、国内の博物館にも収蔵されていない珍しい品だという。2020年の東京五輪開催に向けたムードが高まる中、同センターは「80年前の富山でも、アジア初の五輪に向けて機運が盛り上がっていたことを示す史料」としている。

 調査は総曲輪再開発工事に伴い、16年8~10月に旧西武富山店跡地そばの旧共同ビル跡地285平方メートルで行われた。明治から昭和前期の酒杯の破片約4500点が穴から見つかり、その中に五輪の記念酒杯も含まれていた。1945年の富山大空襲まで、現地で営業していた「太田陶器店」が扱っていたとみられる。

 記念酒杯は口径5・5センチ、底径2・1センチ、高さ3センチ。「ORINPIKU」の銘、五輪マーク、日章旗などが確認できる。素材の土や形の特徴から、昭和10年代に岐阜県多治見市で作られた美濃焼とみられ、当時の美濃の陶器商の帳簿にも「オリンピック中丸盃(なかまるはい)」として東京方面への出荷記録が残っている。正式な英語表記「OLYMPIC」でないのは、陶器商が当時の五輪組織委員会を通さず独自に商品化したためとみられる。

 1940年の「東京五輪」は、36年7月の国際オリンピック委員会で開催が決定。五輪特需にあやかろうと、五輪マークを入れたネクタイや年賀はがきなど多くの記念グッズが作られた。酒杯は、酒屋などが宣伝に利用した販促品だった。ただ、2年後に開催が中止となり、実際に製作されたり流通したりした期間は短かった。

 現在、記念酒杯を所有しているのは、熱心なコレクターが中心。鹿島昌也主査学芸員は「東京だけでなく、地方でも五輪への期待感は高かったようだ。富山では配置薬業者が得意先への土産として配っていたのではないか」と話している。

 発掘調査では、北日本新聞の前身の「北陸タイムス」の銘が入った杯も見つかった。酒杯など出土品は25日から富山市婦中町安田の安田城跡資料館で公開する。 (文化部次長・近江龍一郎)

 ■■ズーム■■ 幻の東京五輪 1940年に東京府東京市(現東京都)で開かれる予定だった夏季五輪。「皇紀2600年」記念行事と位置付け、招致活動を展開。36年7月の国際オリンピック委員会総会で開催を勝ち取ったものの、38年に開催権を返上した。日中戦争の勃発による国際的な批判の高まりと、建築用の鋼材の不足で競技場建設が厳しくなったことが原因とされる。

北日本新聞社

最終更新:7/25(火) 0:31
北日本新聞