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戦時中の子どもたちは、どんな夏休みを過ごしていたのか

7/26(水) 17:10配信

BuzzFeed Japan

いまから72年前、日本は戦争に負けた。それは、いわば子どもたちの夏休み期間に当たる、8月15日のことだった。戦時中、「少国民」と呼ばれていた子どもたち。彼ら、彼女らが過ごした夏は、いったいどんな日々だったのだろうか。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

100年前の子どもたちの「夏休み日記」を読んでみた

当時、唯一発行されていた子ども向け新聞の紙面から、振り返ってみよう。

「戦時下に置かれた子どもたちの夏休みは、もはや『夏休み』ではありませんでした。彼らは、大人に管理されていた」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、戦時中の児童文化に詳しい大妻女子大学短期大学部教授の熊木哲さんだ。当時の小学生新聞を辿り、子どもたちの暮らしぶりを研究している。

戦時中、唯一の小学生向けの新聞だったのは「東日小学生新聞」(のちに少国民新聞に改題)だ。東京日日新聞社(毎日新聞社の前身)が発行していた。熊木さんは言う。

「戦争が始まったころは、まさに今の平和な時代と変わりはないんです」

そもそも、日本が戦時体制に入るきっかけとなったのは、1937(昭和12)年に始まった日中戦争だった。

翌1938(昭和13)年にはこれに関連し、「国家総動員法」が施行された。これによって、人、モノを政府が統制できるようになった。

それでも、戦争初期の「夏休み」は健在だったという。熊木さんによると、この頃の夏休みの時期はいまとほとんど変わらない。7月20日ごろから、8月31日までだ。

当時の東日小学生新聞を見ると、水泳大会や林間学校、職業体験に参加する子どもたちが紹介されているなど、いまの夏とさして変わりはない。

「少国民の愛国進軍 夏休み中に献金募集」(37年8月)などの記事がいくつか散見される程度だ。

「夏休みはただの休みではない」

「ただ、だんだんときな臭くなります。『夏休み』の戦時色が顕著になりはじめるのは、39年ごろからですね」

1939(昭和14)年7月2日の1面には、こんな記事が掲載されている。

“夏休みはたゞの休みではない 身と心を鍛へる時期

新東亜建設のための大切な戰ひを続けてゐる時、夏が来たからと云つて、生徒たちが今までのやうに、唯永いお休みをしたのでは、国民として申しわけがない、もつと有意義にこの夏を使はなければならないと云ふので、文部省では先だつてそれぞれの地方長官に注意をしました。

従つて今年からはどの学校でも、児童たちに暑中休暇は、永いお休みであると云ふ考へ方を捨てさせて、一層身体を鍛へ、心を磨く時とすることになりませう。この文部省の企ては小学校から大学まで皆同じであります。“

「夏休み」は休むとする従来の考えは、戦争中には「国民として申し訳ない」。そうした考え方は「捨てさせて」、身体と心を鍛錬する期間にしよう、ということだ。

夏休みが始まった翌日の7月21日には、「一学期を終へて“夏の鍛錬”へ」との記事もある。

“一学期が終りました。今日から夏の鍛錬日ですね。去年までは暑中休といつてをりましたが、非常時の折から、遊んでばかりゐたり、寝ころんでばかりはをられません。

戦地の兵隊さんのことを思ひ、皆さんもやがては国防の第一線に立たなければならない大切な身体ですから、この四十日間にみつちり鍛へて、お役に立つやうにと、暑中休を夏の鍛錬日と改めました。“

このような施策の背景には、近衛文麿内閣が起こした「国民精神総動員委員会」がこの年の6月に決めた、「公私生活を刷新し戦時体制化をするの基本方策」がある。

「個人主義的、自由主義的生活態度の弊風を粛正して益々国民的、奉公的生活態度を強化」することを目的にしており、早起きや節約と貯蓄、心身鍛錬などを呼びかけている政策だ。

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最終更新:7/26(水) 19:39
BuzzFeed Japan