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37歳で社長退任、公園でビラ配りも ミクシィ創業者・笠原健治氏の今

2017/7/29(土) 16:54配信

AbemaTIMES

 初の“国産SNS“、mixi。その生みの親が笠原健治氏だ。笠原が有限会社イー・マーキュリーを設立した1999年はまだ今ほど起業が一般的ではなかった。同社は2006年、株式会社ミクシィに社名変更・上場し、現在は売上2000億円以上、社員数500人以上を数えるまでに成長した。

 mixiの発展はまさに「社会現象」と言えるものだった。2004年12月に利用者20万人、2005年12月には200万人、2006年には660万人が利用するサービスにまで成長した。勢いそのままに東証マザーズに上場、流行語大賞トップ10にも選出された。資産は一時1500億円にまでなったともされている。

 数多くのIT起業家やエンジニアを輩出した「76世代」の一人。しかし、もともと起業家を目指していたわけではないのだという。そんな彼が、いかにしてIT業界の寵児となったのか。また、その原動力はどこにあるのだろうか。AbemaTV『創業バカ一代』では、笠原の素顔に迫った。

■きっかけは留学生の一言、駆け出しだった堀江氏と協業したことも

 1975年、笠原は大阪府に生まれた。政治に興味を持ち、官僚を志して東京大学に進学したが、「なんとなく違うなと思い始めて、悶々として、自分の将来がはっきり見えない時期があった」のだという。

 3年時に経営戦略のゼミに入り、企業のケーススタディストーリーや分析を行った。そこで扱ったのが、マイクロソフトやアップル、デルといった世界的なテクノロジー企業だった。

 「ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも同世代。同じ時期に起業して、世界に名を馳せている。エキサイティングな世界があるんだ。起業も、大きな可能性を実現する方法なんだ」と感銘を受けたという。周囲が就職活動に勤しむ中、お金を貯めて初めてPCを買い、一人ホームページの作成方法を勉強し立ち上げたのが、求人サイトの「Find Job!」だった。1997年のことだった。お金の管理も自分一人でやっていたという。

 日々刻々と変化していく求人情報は、リアルタイムでのアップデートが可能なネットとは相性がいい…はずだった。

 「雑誌で求人情報を見るのは手間。だから絶対当たると思っていた。でも、立ち上げただけではダメだったんです」。

 求人情報が集まらず、雑誌を見て一軒ずつ企業を訪問しては情報を掲載させてもらう日々が続いた。まさに本末転倒だった。そうした地道な行動が実を結び、少しずつ掲載依頼も増えていった。1999年に法人化した際には、年商1000万円程度にまで成長していったた。

 笠原が次に狙いを定めたのが「オークション」だった。提携の話を持ちかけた相手が、あの堀江貴文氏。当時はライブドアの前身、オン・ザ・エッヂを経営していた時代で、「お互いに駆け出しでした」。

 若き二人が立ち上げに奔走したオークション事業だったが、そこに立ちはだかった壁がYahoo!の存在。やればやるほど差が開いていった。結局、事業は失敗に終わった。

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最終更新:2017/7/29(土) 16:54
AbemaTIMES