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富を求めるのは、道を聞くため 『人間の経済』【書評】

7/31(月) 18:00配信

ZUU online

「君! 君は経済、経済というが、つまり人間の心が大事だと、そういいたいのだね」――昭和58年、文化功労者に選ばれた著者が、顕彰式終了後、宮中において昭和天皇の御前で自らの研究成果について説明する際、緊張のあまりしどろもどろになったとき、陛下からかけられた御言葉である。

著者はそのとき、「心の中をピタリといいあてられたようで、私自身、ハッとした」と述べている。宇沢弘文という大人(だいじん)を一言で評するなら、「人間の心を大事にする経済学者」と言えよう。

『人間の経済』
著者:宇沢弘文
出版社:新潮社
発売日:2017年4月20日

著者は2014年9月に他界した日本を代表する経済学者である。名著『自動車の社会的費用』と『社会的共通資本』は、著者の思想の根幹をなす。

版元によると、本書はリーマン・ショック後の2009年から翌年にかけておこなわれたインタビューや講演録等を原稿にまとめたものだという。著者の愛弟子には、コロンビア大学のジョセフ・E・スティグリッツ教授やカリフォルニア大学バークレー校のジョージ・アカロフ教授がいる。昨年出版された『宇沢弘文 傑作論文全ファイル1929-2014』(東洋経済新報社)には、スティグリッツ教授の追悼講演が収録されている。

■市場原理主義への批判

経済学の世界では、人間の心の問題を持ち込むことはタブーとされていた。著者が心置きなくそのタブーを破るきっかけとなったのが、冒頭の昭和天皇の御言葉である。ところがアメリカでは、人間の心も命も顧慮しない経済学の一派が台頭し、世界的に猛威を振るっていた。

ミルトン・フリードマンに代表される市場原理主義である。しばしば新自由主義(ネオリベラリズム)と同じものとみなされがちだが、著者は両者を区別し、フォン・ハイエクとフランク・ナイトらの新自由主義には、経済学の「一つの重要な考え方」として一定の理解を示している。

他方、新自由主義よりも「ずっと、過激で、先鋭的」、「市場で利益をあげるためならば法も制度も変えられる」、「儲けるためなら何をしてもいい」という発想に立つのが市場原理主義であるという。

「市場原理主義は、あらゆるものをお金に換えようとします。人間のもっている大切なもの、あるいは社会的共通資本であっても、お金に換えるといくらになるか、ひたすら追求していく。非常に極端なかたちの経済学、いやむしろ似非(えせ)経済学と呼ぶべきかもしれません」と著者は述べる。

市場原理主義者の無法ぶりは、フリードマンや「シカゴ・ボーイズ」の罪状を克明に描いたナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読めばよく分かる。

■社会的共通資本とラスキンの言葉

実は、「市場原理主義への批判、あるいはオルタナティブ」として出発したのが「社会的共通資本」の考え方なのだという。本書にその詳細な定義はないが、社会的共通資本とは、簡単に言えば、各々の国や地域が、人間らしい生き方のできる経済・文化・社会を安定的に維持しうるような自然環境や社会的装置を意味する。

具体的には、森林や海洋や大気などの自然環境、道路や公共交通機関や通信施設などの社会インフラ、教育や医療や金融などの制度資本からなり、これらは国家の管理に委ねるのでも市場の自由に任せるのでもなく、社会的基準にもとづき、それぞれの分野の職業的専門家集団によって、専門的知見と職業的規律にしたがって管理される。

イギリスの思想家ジョン・ラスキンに“There is no wealth, but life”という言葉がある。河上肇『貧乏物語』にも引用されているこの言葉を、著者は「富を求めるのは、道を聞くためである」と訳し、経済学を学ぶときの基本姿勢として大事にしてきたという。「道を聞く」とは、『論語』里仁篇の「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」にある「聞道」と同じ意味で、「人としての正しい生き方を悟る」と解される。

そう考えるなら、自由貿易の名の下に社会的共通資本(人間らしい生活の拠り所)を破壊するTPPに対して著者が強く反対し、その国民運動に率先して参加したのも、ラスキンの言葉が心に深く刻まれていたからにちがいない。著者のような経済学者が現代の日本にいたことは、なんとも誇らしい。(ZUU online 編集部)

最終更新:7/31(月) 18:00
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