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やまゆり園殺傷1年 違いを知ることから

7/31(月) 15:23配信

カナロコ by 神奈川新聞

 ◆NPO法人「大地の会」・杉浦幹さんに聞く
 私の兄には、知的障害があります。兄が暮らす東京の障害者施設は、入所者の年齢層が津久井やまゆり園と同じか少し高い。保護者は親の世代からどんどん代替わりしている。やまゆり園と重なるところが多い分、事件が起きた時は人ごととは思えませんでした。

 正直、小さい時は兄のことがちょっと恥ずかしかった。小学生の時、友達から「お前のお兄さんは『気違い』か」って言われたことがあったんです。ボキャブラリーがないだけで、彼に悪気はないんですけどね。

 そう言われても自分はどう説明していいか分からない。時々、意味の分からないことも話すから、回りがどういう反応をするかすごく気にしていました。でも、同窓会で会った時に「お前の兄ちゃん、元気にしているか」って聞くんですよ。つまり、彼の生活の風景の中に「障害者」がごく当たり前にいたということなんですね。

 そこで疑問に思ったんですよ、被告はどうだったのかって。子どもの頃から近くに障害がある子がいたり、町に車いすを使っている人がいなかったのか。そういう顔が見える環境で育っていたら、同じ犯行ができたのか。「障害者は生きている価値がない」って思えたのか。

 事件を知った時の衝撃は忘れられません。同時に、とうとう起きてしまったか、障害者まで来てしまったかという戦慄(せんりつ)を覚えました。なぜかと言えば、この事件は社会全体に通底している問題が露出したように感じたからです。

 世の中には差別やヘイトが散らばっている。神奈川で言えば、川崎で在日外国人の排斥を訴えるヘイトデモが起きたり、小田原で生活保護の不正受給を批判するジャンパー問題が起きたり。経済や効率性、生産性が優先され、自分がいつ振り落とされるか分からない時代。人に優しくない世の中。でも、そんな社会って嫌じゃないですか。

 今、この事件をわが事として受け止めている人が果たしてどれだけいるか。あまりにも事件に関する情報が表に出てこない。こうしてクローズしてしまうと「特殊な事件」で終わってしまう。

 この事件を二度と起こさない社会、憎悪を生まない社会をつくるには、顔と顔を突き合わせて互いの違いを知ることからしか始まらない。この事件は誰にとっても人ごとじゃなく、自分ごとのはずなんです。 

<div class= "enclose-dotted-line"> <strong>すぎうら・もとき</strong> 1959年生まれ。相模原市在住。NPO法人「大地の会」の一員で、横浜市瀬谷区生活支援センターで障害者らの相談に応じている。
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