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空襲中心地に移設を 富山城址公園の戦災復興記念像

7/31(月) 5:00配信

北日本新聞

 富山市の富山城址公園に建立された「戦災復興記念像」を、空襲の爆撃中心地点とされた場所に移設することを求める署名活動が8月スタートする。県内の僧侶らで5月に発足した「富山大空襲を考える会」のメンバーが中心となり、市民に協力を呼び掛ける。代表の松原弘欣さん(79)=富山市古鍛冶町=は「戦争の悲惨さと、復興に力を注いだ先人の思いをつないでいきたい」と言う。 (社会部・湯浅晶子)

 記念像は、富山大空襲で焼け野原になった富山市の復興を記念するとともに、平和への願いを込めて1974年に建てられた。穏やかなほほ笑みを浮かべる天女の横で、子どもが手を合わせている。

 建立当初は大勢の人が行き交う自由広場に置かれたが、公園の整備に伴い、2008年に40メートルほど離れた公園北西の端に移設された。松原さんら有志は、年月とともに空襲の記憶が風化することを懸念し、今年5月に空襲を考える会を発足。記念像をより人目に付きやすい場所に移すよう、市に求めることを決めた。

 新たな移設先として、米軍が爆撃の中心点に定めた城址公園の南東角を挙げた。事務局の阿部行道さん(71)=同市奥田町=は「公園利用者だけでなく、通行人やドライバーにも見てもらえる。悲惨な空襲があったことを思い起こしてほしい」と話す。考える会のメンバーは現在、僧侶を中心に約100人おり、門戸らに広く署名を呼び掛けていく。

 松原さんは小学生の時に空襲を経験。川に入って焼夷(しょうい)弾と炎から逃れた。敵機が去ったまちのあちこちに、赤ん坊を背負った母親や鎖につながれた犬の亡きがらが横たわっていたことを今も思い出すという。「年齢を重ねるたび、後世に記憶を伝えなければという思いが強くなる。戦争を繰り返さないためにも、多くの人に協力してもらいたい」と話している。

北日本新聞社

最終更新:7/31(月) 5:00
北日本新聞