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PKO日報問題、「運命の会議」の謎に迫る 稲田前大臣・背広組・制服組が繰り広げた暗闘とは

8/2(水) 7:05配信

withnews

 南スーダンPKO(国連平和維持活動)の「日報」をめぐる防衛省・自衛隊の大混乱は、稲田朋美防衛相が辞任する事態に発展しました。一体何が起きていたのか。元検事がトップの防衛省・防衛監察本部による特別防衛監察の結果と、これまでの取材を重ね合わせながら、考えてみました。すると、大臣、「背広組」(防衛官僚)、「制服組」(自衛官)という、この役所特有の三者三様の立場が影を落とす構図が見えてきました。(朝日新聞政治部専門記者・藤田直央)

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最大のナゾ、「2月の会議」で何が?

 焦点は、半年ほど前の2月13日と15日に防衛省で開かれた、稲田氏と防衛省・自衛隊幹部らの日報問題をめぐる会議でした。手書きの議事録とされる紙の存在が報じられるなど、この場でのやり取りをめぐる報道合戦が7月入りに過熱しました。

 陸上自衛隊では、5月まで南スーダンに派遣されていた施設部隊が、中央即応集団司令部(神奈川県相模原市)に活動を毎日報告する日報を作っていました。昨年7月に派遣先の首都ジュバで大規模戦闘があった当時の日報について情報公開請求があり、陸自が「廃棄し不存在」と説明したため、防衛省は12月に不開示としました。

 ところが今年1月になって陸自が日報は実はあったと防衛省内で言い出しました。防衛省・自衛隊幹部らはこの件を伏せることにしましたが、その話し合いが稲田氏を交えた2月にあった二度の会議でされたのかが問題となっていました。

稲田氏「報告受けた認識ない」

 稲田氏は7月28日、自身が命じた特別防衛監察の結果発表と同時に防衛相辞任を表明しました。最後の記者会見でも、こう言いました。「報告を受けた認識は今でもない。私の一貫した情報公開への姿勢に照らせば、そうした報告があれば必ず公表するよう指導したはずです」

 この言い分、実はわからなくはありません。というのは2月の会議の少し前、稲田氏は日報問題で報告を上げてこない防衛省幹部らに怒っていたからです。

 話はさらに2カ月前にさかのぼります。昨年12月12日、自民党行政改革推進本部の河野太郎本部長から、防衛省は日報は不存在だと言うが本当にそうなのかと照会がありました。監察結果によると、稲田氏は13日に日報を再び探すよう辰己昌良・統合幕僚監部(統幕)総括官に指示します。

 統幕は陸海空3自衛隊の統合運用を担う組織で、制服を着る陸海空自衛隊の「制服組」が中心ですが、「背広組」と呼ばれる官僚もいます。辰己氏は国会答弁などで防衛相を補佐する「背広組」でした。

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最終更新:8/2(水) 8:14
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