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『日本人が本当は知らないお金の話』見過ごされがちな「お金」の本質【書評】

8/1(火) 16:39配信

ZUU online

ゲーテは、ヴィルヘルム・マイスターの友人ヴェルナーに、「複式簿記は、人間の精神が発明した最もすばらしいもののひとつだ」と語らせている。

その最高級の発明品を引っ提げて、巷の経済論議の嘘八百やまやかしを暴いてみせるのが著者の三橋貴明氏だ。本書は、個人や企業、市中銀行や日本銀行のお金のやりとりについてバランスシート(賃借対照表)を用いて説明し、一般に見過ごされがちな「お金」の本質を理路整然と解き明かしている。

『日本人が本当は知らないお金の話』
著者:三橋貴明
出版社:ヒカルランド
発売日:2016年12月31日

■ミダス王の寓話と「お金」の本質

ギリシャ神話にミダス王の寓話がある。古代プリュギアのミダス王は手に触るものすべてを黄金に変える力をディオニュソス神から授かったが、その力のせいで、水や食物までもが黄金と化し、飢えに苦しむ。アリストテレスの『政治学』に引用されたストーリーでは、王は飢え死にしてしまう。

さて、この寓話から何を読み取るべきか? 拝金主義への戒めか? むろん、それもあろう。

だが著者が着目するのは、「人間はどれだけ莫大なお金があったとしても、水や食料を口にできなければ死んでしまう」という点である。人間の生存には、多様なモノやサービスが生産され、「需要」が満たされなければならない。しかし、お金は「モノでもなければ、サービスでもない。」

そもそも「お金」とは何か? これについては、アリストテレス、アダム・スミス、ジョン・ロックらの貨幣観がいまだに根強い。お金は「物々交換から進化した交換用の商業用具」であり、金(きん)や銀といった貴金属の価値を担保とし、それ自体が財産であるとする考え方である。

それを「狂気の貨幣観」と呼ぶ著者は、お金とは「債務と債券の記録」にすぎないと述べる。そして、お金の持つ内在的な価値は、「貴金属の重量」にではなく、「購買力」にあるとする。さらに「お金の担保とは、究極的にはその国の国民が保有するモノやサービスを生産する力、すなわち経済力」であると主張する。

■国民経済を視座に据えた積極的発言

経済の中心は何か? 多くの人は「お金」と答えるであろう。しかし著者は、「お金ではなく、所得」だと説く。われわれが働いてモノやサービスを生産し、顧客に「消費、投資として支出(購入)してもらう。所得創出のプロセスこそが、常に経済の中心に位置してい」ると。お金が不足すると、経済成長率は抑制され、国民は豊かになれない。

著者のいう「経済成長」とは、(物価の影響を排除した)実質GDPの増加である。実質GDPの増加とは、「国内の所得の総計が実質的に増えてい」き、「国民が豊かになっていく」ことである。

著者は常に国民経済を視座に据え、時局にたいして積極的に発言している。「国の借金」で「財政破綻」する等の、雰囲気まかせの曖昧な言葉使いに異を唱え、言葉の一つびとつを精確に定義しながら議論を進めるのが著者の流儀である。

デフレ下での消費増税の愚策を著者は当初から指摘していた。実際、財務省が7月5日に発表した2016年度決算概要によると、国の税収総額は前年度比1.5%減の55兆5000億円となり、7年ぶりに前年度を下回った。税収全体の8割を占める所得税、消費税、法人税もすべて前年割れとなった。2014年4月の消費税率引き上げが失政たることは疑うべくもない。「財政再建のための消費増税」という大法螺の吹聴者も追従者も、ともに国民経済を弱らせた罪は大きいと言わねばならない。

本書の終わりで著者は、「国民経済の経済力を決定づけるのは、その国の国民の労働」であると述べている。「経済力が不十分な国では、どれだけ「お金」が大量にあったとしても、ミダス王は常に死ぬ」と。

著者の意見に賛同しつつも、敢えて一言申せば、本書には、何のための豊かさであり、経済成長なのかといった(経済の枠を超えた)究極の目的への言及が(示唆としても)欠けている点にやや物足りなさを感じる。経済の基礎知識を教える本書の目的やプラグマティックな著者の思考スタイルと相いれないからかもしれないが、そうした究極の目的が、経済政策の具体的な方向性を定め、国民に働くインセンティヴを与えるものになると思えるからである。(ZUU online 編集部)

最終更新:8/1(火) 16:39
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