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武田氏が振り返る 浦和解任のペトロビッチ監督が残した日本サッカーへの“金言”

8/1(火) 16:45配信

東スポWeb

【武田修宏の直言!!】J1浦和のミハイロ・ペトロビッチ監督(59)が成績不振で解任されたね。シーズン序盤は優勝候補らしい戦いをしていたけど、徐々に失点が目立ち始めて立て直せなくなった。日本人に合ったサッカーをしていた監督で、私も非常に応援していたが、プロの世界は結果がすべてだから解任は仕方ない。

 よく練習場にお邪魔させてもらったけど、いろいろな話をしてくれた。監督は「何でも聞いてくれ」と言ってオープンだったし、自分のチームのことだけでなく、日本サッカー全体の話も熱く語ってくれた。

 その中でよく覚えている話が3つある。まずは「日本代表監督というのは、日本のサッカーを何年も経験していて、日本をリスペクトした中で母国のサッカーをやっていくのがいいのではないか」ということ。最近で言えばジーコ氏、イビチャ・オシム氏がこれに当てはまり、日本人選手の特性をうまく生かしていたが、今のハリルホジッチ監督はその部分に欠けている。ペトロビッチ監督もそこをかなり気にしていたよ。

 2つ目は「日本人は自信を持つべき。組織力や緻密さは世界に誇れる。日本人の良さを出して、堂々とプレーしたほうがいい」という話。ペトロビッチ監督がつくり上げたチームは攻守に連動するサッカーだったが、それを実践するためには選手の自信が不可欠だ。

 最後は昨季の“幻の優勝”について。昨季、浦和は年間勝ち点1位でありながら、チャンピオンシップ決勝で敗れて年間優勝はならなかった。「これもルールだけど、優勝チームが取り上げられる一方で、一番勝ち点を取った浦和はあまり評価されなかった。サッカー文化の熟成という面では残念」と語っていた。

 今季、こういう形で浦和を去ることになったけど、ペトロビッチ監督の功績が決して色あせることはない。今回はフロントにも責任はあるが、誰もそこには触れないね。浦和の本当の問題はやはりフロントだと思うよ。

☆武田修宏:たけだ のぶひろ=1967年5月10日生まれ。静岡県出身。幼少期から「天才少年」と呼ばれたストライカー。名門・清水東(静岡)から1986年に読売クラブ(現東京V)入り。ルーキーながら11得点を挙げ、リーグVに貢献し、MVPにも選出された。Jリーグ発足後はV川崎や磐田、京都、千葉などでプレー。2000年には南米パラグアイのルケーニョに移籍。2001年に東京Vに復帰し、同シーズンで現役引退した。Jリーグ通算は94得点。JSL時代も含めれば152得点を挙げた。1987年に日本代表に選出。1993年米国W杯アジア最終予選でドーハの悲劇を経験した。

最終更新:8/1(火) 16:45
東スポWeb

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