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諫早・鎮西学院に平和博物館開館 あの日伝える「被爆時計」展示

8/1(火) 9:55配信

長崎新聞

 長崎原爆で壊滅的な被害を受けた旧制鎮西学院中などの歴史を紹介する「鎮西学院平和祈念ミュージアム」が1日、諫早市西栄田町の同学院にオープンする。戦前の学校資料の多くが原爆で焼失したため、卒業生の義父宅で焼け残った「被爆時計」を借り受け、特別展示する。針は原爆投下時刻の「11時2分」近くで止まったまま、72年前の「あの日」を伝えている。

 卒業生は原爆投下当時、旧制鎮西学院中4年だった深堀柱さん(87)=長崎市宝栄町=。学徒報国隊として三菱兵器製作所茂里町工場で魚雷の部品を製造していた。1945年8月9日朝、空襲警報が鳴り、工場から興善町の長崎消防署に伝令に走らされた。警報が解除され、署内のベランダで休んでいた時、原爆の閃光(せんこう)を浴びた。

 時計は義父の深堀清一さん(62年死去)宅の焼け跡から見つかった。爆心地からわずか600メートル、鎮西学院中のそばの竹の久保町(現・宝栄町)だった。清一さんは勤務先の工場にいて助かったが、自宅にいた妻キクノさん=当時(39)=と長女静香さん=同(15)=ら子ども5人は次々と死んだ。

 深堀さんは25歳の時、清一さんと養子縁組し、時計とともに家を継いだ。「若い頃、あまり意識していなかったが、年月がたつにつれて、時計の存在が亡くなった6人とともに心に染みてきた」

 時計の木枠が外れると、テープで貼るなどして修繕してきたが、3年前、長崎市の浦上キリシタン資料館に寄贈。鎮西学院は今回のミュージアム開館に合わせ、当時の様子を物語る時計の展示を深堀さんに依頼、同館から3日まで貸し出すことになった。

 「かつて鎮西中学があった近くの家で“生き残った時計“。亡き6人の命が込められている。後輩たちに平和のために見てほしい」

長崎新聞社

最終更新:8/1(火) 10:37
長崎新聞