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モバイル・マネー「M-PESA」の奇跡

8/1(火) 16:30配信

ニュースソクラ

【資本主義X民主主義4.0】第二部 供給は自らの需要を生み出すか(4) P2Pの時代がやってきた

 [英イングランド南部ギルフォード発]家庭用太陽光発電システム「M-KOPA」共同創業者ニック・ヒューズ(50)は2001年、国際石油資本BPから携帯電話事業会社ボーダフォンに転職した。グローバルプレーヤーに成長したボーダフォンの国際ブランド構築のため、企業の社会的責任(CSR)を任されたニックはあるアイデアを思いつく。

 ボーダフォンが40%の株式を持つケニアの携帯電話事業会社サファリコムのインフラや携帯電話を使って、貧しい人たち向けの小口貸し付けを行うマイクロファイナンス(小規模金融)の返済を行えないか、実験してみよう――。

 ニックは、電子マネーの開発に取り組んでいた親しいICT(情報通信技術)エンジニアのポール・マキン(50)=コンサルト・ハイペリオン金融包摂責任者=らに声をかけ、開発チームを結成する。ロンドンから電車で40分弱のギルフォードにある事務所にポールを訪ねた。ニックが情熱の人なら、ポールは一寸のすきもない理論派テクノロジストだ。

 「04年前半からマイクロファイナンスを受けている600人のグループに無償でサービスを提供する代わりに実験に参加してもらった。マイクロファイナンス金融機関(MFI)に携帯電話で前払い通信料を送信して返済する仕組みを考えていたが、参加者たちは想定もしていなかった使い方を始めた」

 600人はMFIに前払い通信料を送信(送金)する代わりに互いに送金を始めたのだ。ポールはその理由を探るため参加者から徹底的に聞き取り調査を行った。

 ケニアの首都ナイロビには郊外から出稼ぎに来る人が少なくなかった。現金が手元にたまると長距離バスに乗って実家に持って帰る。往復で3~4日。それが携帯電話で送金すると実家に帰らずに済む。バス代と時間が節約でき、その間に働けば収入が増える。さらに移動中に強盗に遭って有り金をすべて奪われる心配もない。

 P2P(ピァ・トゥ・ピァ)の原型となるこのアイデアを実用化するため、イギリス政府の国際開発省とボーダフォンがそれぞれ100万ポンドずつを資金提供した。

 ケニアの金融界は「海の物とも山の物ともつかぬサービスで、導入するのは危険なギャンブルだ」と電子マネーに強い警戒心を示したが、潜在的な需要に応えて流動性を供給する十分な支店と人、コンピューターシステムを持ち合わせていなかった。ケニアでは銀行口座を持つ大人は19%に過ぎなかったからだ。

 これに対し携帯電話は大人の54%に普及し、携帯電話の通話料を売る代理店も全国に広がっていた。ケニア政府の協力もあり、「M-PESA(PESAはスワヒリ語でお金の意味)」と名付けられたP2Pのモバイル・マネー・サービスは07年3月6日、サファリコムから提供された。

 サファリコムのサービスに対する利用者の信頼は厚かった。初年度30万~35万人の利用を目標にしていたが、「家にお金を送りましょう」というシンプルなメッセージが爆発的に受け、すぐに3倍の100万人に引き上げられた。

 M-PESAは今年でちょうど10歳になった。サファリコムによると、利用者は昨年3月時点で1600万人以上、送金総額は5兆2000億ケニア・シリング(約5兆6600億円)に達した。携帯電話の契約者と低額の送金手数料でサファリコムの業績は急上昇した。

 国際コンサルティング会社KPMGの調査ではM-PESAがケニアにもたらした社会的価値は1840億ケニア・シリング(約2002億円)。サファリコムの最高経営責任者(CEO)ボブ・カリーモアは「M-PESAの成功は利用者の成功を物語る」と胸を張った。

 M-PESAの登場で妻や母など女性がお金を管理できるようになり、飲んだくれの男たちが大衆酒場でビールをあおって浪費していたお金が家族のために使われるようになった。同じプラットフォームを利用したアフガニスタンでは、P2Pで給与を支払うことで中間搾取がなくなり、現場の警察官の給与が30%上がったという事例も報告されている。

 「消費者も含めバリューチェーンに参加する全員が得するビジネスモデルでないと成功しない。イギリスでスタートしたモバイル・マネーはM-PESAのようには成功しなかった。ケニアと違ってイギリスには銀行もクレジットカードもあって流動性を供給するインフラは備わっている。現地の意見に耳を傾けてサービスを開発することが不可欠さ」

 ポールはケニアとタンザニアでM-PESAの運営に関わり続けている。「電子ID(本人認証)とP2Pの技術が確立すれば、経済活動がタテ方向ではなくヨコ方向に広がっていく可能性がある。その上にM-KOPAのような付加価値のあるビシネスを次々と展開していくことができる。私の知る限り、ニックらが作り出したM-KOPAは一番優れたインターネット・オブ・シングス(IoT)だよ」

 M-PESAはローンや貯蓄、給与の支払いなど、ニックやポールが当初、思い描いていた使われ方をするようになった。(文中敬称略、つづく)

【用語解説】P2P
Peer to Peer(ピァ・トゥ・ピァ)。複数の端末間で通信する際、対等の者(Peer)同士が通信をするモデル。仲介者や企業のほか、銀行、政府など中央集権的な機関を通さない対等の参加者同士の取引を意味することもある。

■木村 正人(在英・国際ジャーナリスト)
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。

最終更新:8/1(火) 16:30
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