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「タダであげる」に込められた深い意味

8/1(火) 12:43配信

福井新聞ONLINE

 先日、福井県鯖江市で実施させていただいた移住政策を通じて学んだことを関連記事のコラムでお話ししたところ、たくさん反響をいただき、福井新聞の「越山若水」でもご紹介いただきました。

【画像】「ゆるい移住」に集まった若者たち

「ものの価値」

 先日、東京で中古品の買取ビジネスを行っている友人が、このコラムを読んでくれていたということで、「ものの価値」についていろいろと話しました。

 なんでも、使わなくなった中古品を持っている人の多くは、「◯◯円で買い取りますよ」と交渉しても、なかなか手放してくれないのだとか。それは単に、買取金額に満足していない、ということではなく、わざわざ「お金に換える」という行為自体への欲求が弱い人が多い、ということだそうです。

 しかし、その中古品をものすごく必要としている人がいたり、それを手放すことで誰かの役にたったり、または、お金ではなく、旅行など誰かと何かを体験できる機会と交換できるということだと、積極的に中古品を手放すそうなのです。

 お金に換えるのは面倒くさい(売りたくはない)けど、何か別の価値になるのであれば手放してもいい、ということみたいです。

手放すだけの「値打ち」

 昨年、ヤフーと鯖江市との新しい事業をお手伝いさせていただき、市民が持っている不用品や中古品をオークションで販売して、その売上をまちの環境活動に活用しようという取り組みを行いました。

 この取り組みは、市民が提供してくれた不用品がオークションで売れても、そのお金は提供者本人には1円も入らないのです。つまり、市民がまちにタダでものを寄付するのです。それにも関わらず、これまでに約70万円分のものが集まりました。

 しかし、これを寄付してくれた市民の方たちは、そもそもお金に換えたかったのではなかったのだと思います。まちの活動に活かされるのであれば、お金は1円ももらえなくても、それを手放すだけの「値打ち」がある、と感じてくれたのではないでしょうか。

「値打ち」の美学

 お金や「値段」というのはとても便利なもので、それがあることで、基本的には誰もが同じ規準でものを手に入れることができます。あたりまえですが、100万円持っていれば、100万円のものを買うことができる。

 しかし、自分が持っているものに値段をつける場合には、売る相手によってその価格を変えたくなることがあります。買取サービスに出すのなら1万円以上で売りたいけれども、自分の兄弟に売るのなら3千円くらいでもかまわない……、よくあることだと思います。

 逆に、Aさんにはタダであげてもいいけど、Bさんにはタダではあげたくない、なんてこともあるでしょう。「タダであげる」の背景には、その人との人間関係によって、それをタダであげてもいいという「値打ち」がやりとりされているのです。

 つまり、人間関係にそこまでの「値打ち」がなければ、タダであげる理由もない。

 しかし、その値打ちをわざわざ数値化したりランキングにしたりしている人を見たことはありません。そこには、人との関係とものの価値をめぐる「美学」があるのだと思います。

 田舎での人間関係には、わずらわしさもあります。しかし、そんな美学を楽しむのも、田舎の贅沢のひとつにはならないでしょうか。(ゆるパブリック理事・若新雄純)